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(何度かの架替はあっても)江戸時代から架かっていた橋だそうです。
資料では、広島地方で猿猴は水陸両棲の河童のようなものを云っていたそうです。また、一説には猿猴(猿)※の生息地であったので猿猴川と命名され、その川に架かる橋のため猿猴橋になったという説もあります。 |
現在の猿猴橋は、1926(大正15)年3月鉄筋コンクリート桁橋として架けられました。
橋構造などは、橋長:62.4m、幅員:8.5m、上部:鉄筋コンクリート連続桁橋、下部:壁式橋脚。 |
| 爆心地から≒1,820m |
| 1945(昭和20)年8月6日原爆で欄干の一部が破損した被害はあったものの渡ることができたそうです。 |
現在は駅前大橋がメインの通りになっていますのでこの猿猴橋を通ることは多くはないのですが、今(2007)年3月東側で工事看板を見たのです、1億円で沈みかかっている水管橋を撤去する工事のようでした、6月26日までの工期になっていました6月16日立ち寄ってみると既に(被爆した橋脚も)撤去工事は完了していました。
2007年11月エールエールA館からみた画像を追加しました。 |
| 08.05.31更新 07.07.16追記 00.07.30裕・編集 |
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’07.12.26撮影 |
| 広島市南区的場町と猿猴橋町を結ぶ猿猴橋(手前の橋)をみました (向こうは荒神橋) |
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’00.07.22撮影 |
| ≒西南よりみました |
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’07.06.16撮影 |
| (猿猴橋の向こうに見えていた水管橋の橋脚も撤去されました) |
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’05.10.10撮影 |
| (北側が)猿猴橋水管橋 爆心地から≒1810m |
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’00.07.22撮影 |

’00.07.22撮影 |

’05.04.29撮影 |
| 橋名石:猿猴橋 |
ゑんこうは志 |
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※資料(ヒロシマの被爆建造物は語る:広島平和記念資料館発行)の写真をみると、戦前(金属回収令で供出される前までは)手摺柱間には、二匹の猿が向かい合い(1個の)桃を持っているデザインの欄干飾りが付けられています、また親柱の飾りには地球儀の上に羽ばたく鷲の像がありました。
この羽ばたく鷹は皆実町の現・平和塔(旧称:日清戦争凱旋碑)の鷹と同じような姿の鷹です。 |
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えんこう
猿猴
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1猿類の総称。古くは多く手長猿をいった。
2 河童の別名。
3 人形浄瑠璃界で、手のこと。
4 月経のこと。 「猿猴へ手を出し亭主ひっかかれ」〈柳多留・七七〉 |
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