(鶴見橋)被爆樹木・シダレヤナギ
  鶴見橋は、1945(昭和20)年8月6日被爆時欄干など一部が熱線により自然着火したがこれを消火、比治山方面への被災者が続々と渡ったそうです、爆心地より≒1650m (ヤナギは≒1700m)。
鶴見橋(東詰)根際のシダレヤナギは爆心地から≒1700mで被爆しました。被爆の惨禍から立ち上がっていく広島市民を、被爆に耐えたシダレヤナギはみてきたのでしょうね。
本体部分は柳としての役割は終わった?分かれて芽吹いた部分は元気のようでありましたが、2007年6月30日中國新聞に被爆ヤナギ瀕死の状態という記事をみました、またこのヤナギの知らなかった事も記事に載っていましたので頁更新の参考にしました。
このシダレヤナギの樹齢は110年くらい、幹の高さ≒3m、1984(昭和59)年の台風で折れ曲がった(原爆被災説明板の画像をみるともともと曲がってはいましたが)ので支柱が施されたそうです。
07.06.30更新   04.04.20裕・記編集
   関連頁:(2007年6月)瀕死の状態・鶴見橋被爆樹木・シダレヤナギ

04.04.06撮影
≒南東より鶴見橋をみる(画像左に被爆したシダレヤナギ)  現在の橋は平成2(1990)年3月竣工

04.04.06撮影
被爆樹木・シダレヤナギ   東詰北側に位置しています

05.11.03撮影

05.11.03撮影

06.08.06撮影
被爆したシダレヤナギを北側から見る   原爆被災説明板と鶴見橋

06.12.16撮影
西側電車道越に見る
原爆被災説明板の写真を使用しています
鶴見橋・原爆被災説明板  
爆心地から約1650m   
(被爆したヤナギ≒1700m)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。原爆の強烈な熱線により欄干など(※当時木造橋)に着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。
東詰めから撮影された鶴見橋とシダレヤナギ  1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影



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