よろずよ ばし
万代橋
  現在の万代橋は、連続鈑桁橋、橋長:94m、支間割(27.6+38.0+27.6)、RC床版で広島市が発注者となっています。
旧・萬代橋は元安川に架かる橋で、1916(大正5)年ドイツ人技師によって設計された鋼板桁造りで橋桁の支えに飾りがある等繊細でバランスのとれた橋で、当時西詰めに廣島縣庁があったので「県庁橋」と呼ばれていたそうです。原爆被災説明板で解かるように欄干が吹抜けに成っていた事で一部破損もあったが倒壊しなかったそうで、原爆の熱線による欄干の柱の影と横桟の影で原爆爆発点がこの橋から≒880mで上空580〜600mと推定される根拠の一つになっています。被爆した萬代橋は、1981(昭和56)年に現在の万代橋に架けかえられました。
08.06.23編集追記   02.10.22裕・編集

’00.08.14撮影
広島市中区中島・加古町地区と大手町地区とを結ぶ万代橋

’00.08.14撮影
大手町地区と中島地区を結ぶ現在の万代橋を南西より見る

’05.02.10撮影
北西より見る

’00.08.14撮影

’00.08.14撮影
萬代橋親柱(保存)説明板

’03.05.23撮影


被爆当時の親柱と説明版
万代(萬代)橋親柱
  萬代橋(橋長95.5m、幅員5.5m、構造:鋼鈑桁)は大正五年ドイツ人技師の設計により、大手町と加古町(旧町名:水主町)を結ぶ重要な生活道路としてまた地域における交通の要として架橋された。
当時、縣庁が主水町に所在していたことから、通称「県庁橋」とも呼ばれ広く市民に親しまれていたが、昭和20年8月6日、原子爆弾の熱線は橋上に人間の影を焼きつけるなど被爆の痕跡を残し、その後の歳月を被爆の証人として耐えてきた。
老朽化による架替えにあたり歴史の証として、旧橋の親柱をここに保存する
昭和56年12月28日    広島市  

’04.01.25撮影
西詰・南側の旧萬代橋の親柱の傍に水仙(画像右端)が咲いていました・・・



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