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| 平和記念公園附近の橋は、1945(昭和20)年8月6日(月)米軍投下の原子爆弾による惨禍から立上がっていった歴史を物語っているのかもしれません。 |
| 萬代橋のアスファルトの上に残っていたといわれる原爆により犠牲になった方の人影や荷車・リヤカーの影は(右写真のように)今は資料でしか知る事ができません。 |
| 原爆投下の目標橋であったといわれる相生橋も被爆した橋から1983(昭和58)年新しい橋に架替えられています。イサム・ノグチのデザインで1952(昭和27)年竣工の平和大橋、西平和大橋もいままた交通量の増大に対応する橋に架替える事を検討されているようです。 |
今(2008)年被爆63年の時が流れようとも二度と戦争という過ちを繰返さないと誓った事を忘れないようにとわたしは思うのです。
中國新聞をみていると、交通量の増加に対応する為、平和大橋を掛け替えるのではなく根際に歩道橋を設置するようなことが報道されたいました。また、財政難の広島市先日まで地震時の落橋を防止する工事をしていたようです。 |
| ◆今まで手書き地図でしたが、今回の改定でユーザー登録をし生活地図サイト MapFan Webを利用しました。 |
| ※平和記念資料館が収蔵保存している資料『平和データーベース』から許可申請すれば被爆資料等の掲載ができることを知り、今回許可をいただき写真を掲載しました。 |
| 08.05.10追記 03.10.09※追記 02.10.22裕編集 |