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『被爆者が描いた絵が3000枚以上も集まっているそうです。これらは、文章、言葉ではとうてい表現しきれない1945(昭和20)年8月6日原爆によって引き起こされたあの日の光景が、描かれています。
これらの絵をひとりでも多くの人に見てほしい。そのために風雨に耐えうる陶版画にして、描かれたその街角に返そう、それが「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の取り組みです。街角に設置した陶版画の碑は、かつて原爆を身をもって体験した人たちも、それを知らない若い世代の人たちも原爆の真の恐ろしさを知り、平和の尊さを実感できるものになるはずです。碑の設置は86箇所が目標です。』 |
| 資料は「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の資料を参考にしました。 |
2002(平成14)年秋だったでしょうか・・・原爆関連慰霊碑巡りしていると(幼児のときに被爆した)じき上の兄貴に話した事があったのです、その時兄貴に「‘被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会’が街角に碑を建立していこうとしている、中島町の西応寺に第1号碑が建立された事を知っているか」と云われたのですが、恥ずかしい事にわたしは知りませんでした。また、HPに取り上げないのかとも云われていたのですが、原爆関連慰霊碑巡りもまだまだの段階でしたので撮影もしていませんでした。2004(平成16)年になって訪ねてみようと思ったのです。
現(2006年10月2日)時点、全9箇所ある碑を全箇所撮影していたわけではありませんでしたのでこの一覧表の頁は作成していませんでした。被爆61年目(2006年)の現時点までに9箇所の設置にとどまっています、費用的な問題もなくはないのでしょうが、乗り越えなければならない一番の障害は設置場所がなかなか見つからないという事を聞いたことがあります。設置の陶版画が目をそむけたくなるような原爆の悲惨な実相が描かれた絵だからと・・・
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| 10号碑が2006(平成18)年10月14日建立された事を知り、撮影に行きました。 |
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