千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑

  1924(大正13)年広島市立千田尋常高等小学校として創立、1941(昭和16)年千田国民学校と改称されました。
1945(昭和20)年4月集団学童疎開がはじまり、7月2日第2次集団疎開が出発していたものの、8月6日の原爆投下により教師3名、児童41名が犠牲になりました。
(他の資料では、校内で児童3名、職員1名が犠牲になり、雑魚場町では建物疎開作業中の高等科生徒約50名全員が死亡したと思われるという資料もあります)。
08.08.09更新    03.03.20裕・編集

’03.03.06. 撮影
広島市中区東千田町2-1-34 千田小学校

’03.03.06. 撮影

05.11.22撮影
建立:1976(昭和51)年8月千田国民学校遺族会 裏面には、教師3名、学童41名のお名前が刻んでありました



原爆関係慰霊碑画像一覧へ
原爆関係慰霊碑建立地一覧へ



広島ぶらり散歩表紙へ
千田小学校関連頁
千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑
若潮千通会記念植樹:碑
(被爆樹木)
  (校内で被爆の)イチョウ
  (校内で被爆の)カイズカイブキ
  (校内で被爆の)クスノキ
  (戦後校内に移植の)マツ
  (国泰寺で被爆し移植された)エノキ
(被爆した講堂鉄骨で作られた)飼育舎
日本・オーストラリア友好の校舎・碑
(野外彫刻)
   平和の女神
   躍動
(その他石碑)
   (今はなき)旧平野橋親柱
   (千田小学校構内にある)石碑