
’05.04.09.撮影 |
| ヒロシマの瓦・ナガサキの瓦 |
アメリカの原爆投下から33年たって、広島の高校生たちが、平和公園とその周辺で原爆被爆瓦を見つけました。原爆瓦発掘保存運動はさらに中学生、小学生、幼稚園児、一般市民にも広がり、被爆体験の継承がはかられました。原爆瓦は長崎でも発見されています。
中央、原型を比較的よくとどめている瓦は、広島市の爆心地近くの元安川河床から発掘されたもの。それらをとり囲むように配置されている瓦は、長崎市の爆心地松山町から発掘されたものです。 |
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’05.04.09.撮影 |
| 原爆瓦について |
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1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾の炸裂により、爆心地の温度は摂氏3000度から7000度の超高温になりました(鉄のとける温度は1500度、太陽の表面の温度は約5700度です)熱線は爆心地の住民を焼き殺し、住居を炎上させ、屋根瓦をとかしました。この瓦には、表面がとけてできたガラス質の粒があり、原爆の熱線のあとをはっきり示しています。爆心地直下で生活した人々も、この瓦と同様に焼かれ、とかされ、殺されました。泡状に表面が焼けただれた瓦は、この人類史上未曽有の惨禍を語りかけています。 |
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