YMCA原爆瓦記念柱碑(広島県高校生平和ゼミナール・鎮魂碑)

鎮魂 1981(昭和56)年12月6日』広島県高校生平和ゼミナール
私たちは、平和を願い原爆瓦を後世につたえます  1981年12月6日 広島YMCA
ローマ法王ヨハネパウロ2世の平和アピール(抜粋)
 全世界の若者たちよ
ともに手を取り合って、友情と団結のある未来を作ろうではありませんか。
窮乏の中にある兄弟姉妹に手を差しのべ空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなた方の若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。
人類同胞のためにその精神を使いなさい。
1981(昭和56)年2月25日
平和記念公園にて ローマ法王 ヨハネパウロ二世
関連頁 平和記念資料館東館のローマ法王平和アピール碑   世界平和記念聖堂 03.02.25裕編集
05.05.10  追記

’03.02.20. 撮影

’03.02.20. 撮影
広島市中区八丁堀7‐11YMCA

’05.04.09.撮影
ヒロシマの瓦・ナガサキの瓦
アメリカの原爆投下から33年たって、広島の高校生たちが、平和公園とその周辺で原爆被爆瓦を見つけました。原爆瓦発掘保存運動はさらに中学生、小学生、幼稚園児、一般市民にも広がり、被爆体験の継承がはかられました。原爆瓦は長崎でも発見されています。
中央、原型を比較的よくとどめている瓦は、広島市の爆心地近くの元安川河床から発掘されたもの。それらをとり囲むように配置されている瓦は、長崎市の爆心地松山町から発掘されたものです。

’05.04.09.撮影
原爆瓦について
1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾の炸裂により、爆心地の温度は摂氏3000度から7000度の超高温になりました(鉄のとける温度は1500度、太陽の表面の温度は約5700度です)熱線は爆心地の住民を焼き殺し、住居を炎上させ、屋根瓦をとかしました。この瓦には、表面がとけてできたガラス質の粒があり、原爆の熱線のあとをはっきり示しています。爆心地直下で生活した人々も、この瓦と同様に焼かれ、とかされ、殺されました。泡状に表面が焼けただれた瓦は、この人類史上未曽有の惨禍を語りかけています。

’03.02.20. 撮影



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