(広島市立)第一国民学校・原爆被災説明板

  第一高等小学校は1932(昭和7)年に三校創設された高等小学校の一つでした。東校舎(工業教室)は市内では本川小学校に次ぐRC造(平屋)の建物でした。
1941(昭和16)年第一国民学校と改称、爆心地より≒2640m1945(昭和20)年8月6日原爆によって木造の北校舎は倒壊、他も破壊はされたが倒壊はまぬがれましたが、給食係の女生徒1名がなくなり、昭和町方面の建物疎開に動員されていた生徒、教職員約50名が犠牲となったそうです。
2002年にはじめてこの段原中学校へ行ったときは道も狭くご近所の方の何人かに尋ね尋ねたどり着いたのですが、2006年暮に交流ウォークで訪ねたとき、学校の前に大きな道路が出来ようとしていました(段原再開発の区画整理で)、この碑も多くの人が目にされるのではと思いました・・・
資料はヒロシマの被爆建物は語る等を参考にしました 07.08.10追記    02.10.15裕・編集

’06.12.16.撮影
広島市南区段原山崎町4-42 (段原中学正門右)

’02.10.01. 撮影

’02.10.01. 撮影
第一国民学校・原爆被災説明板
爆心地から約2640m
原爆で北側木造校舎は倒壊。そのほかの校舎や講堂などは窓枠や窓ガラスが破壊されたものの、倒壊は免れました。被爆後、東校舎と講堂は臨時救護所となり、その年の10月上旬まで多数の被災者を収容しました。
臨時救護所に収容された被災者 1945(昭和20)年8月8日 尾糠政美氏撮影



原爆被災説明板一覧」編



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第一国民学校原爆慰霊碑
  慰霊碑建立趣旨碑
(被爆した)第一国民学校・東校舎
第一国民学校・原爆被災説明板
(段原中学校校門横の)宇品線記念碑