殉職消防組員之碑

碑裏面・碑文
  この碑は元:水主町武徳殿前に存し原爆に被災倒壊せるを此の地に再建したものである。
昭和25(1950)年11月   広島県消防殉職碑建設委員会
戦前、水主町(かこまち)(現在:加古町)の県庁舎前に建っていて、戦後原爆で亡くなった組員(職員)を合祀して1950(昭和25)年、この地・南区 比治山公園に建立されたのだそうです。殉職者781柱のうち原爆犠牲者は681柱と多数の方々が犠牲になったそうです。
碑をよくみると広島県知事末松偕一郎(在任1926年9月〜1927年11月)の書とあるので、この碑は元々大正末期から昭和初期に建立されたものであろうことがわかりました。
07.08.19追記     04.08.01更新    01.12.31裕・編集

’07.03.14撮影
広島市南区比治山公園3

’01.12.29撮影
廣島縣知事正四位勲二等末松偕一郎書    殉職消防組員之碑

’04.07.10 撮影
碑裏面
かこ やく
水主役
1)中世、領主が沿岸領民に課した夫役(ぶやく)。船の水夫(かこ)として徴発した。
2)江戸時代、種々の名目で沿岸住民に課せられた夫役。夫米(ぶまい)・夫金として代納された所が多い。
すいしゅ
水手・水主
(船頭以外の)船の乗組員。ふなのり。かこ。
★水主町(かこまち)を戦後なぜ加古町と表記したのかは、いまのわたしにはわかりません。




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