鎮魂之碑 (船舶通信補充特別幹部候補生鎮魂之碑)








 

































 













 















































































































 








 




















07.08.19更新   01.12.31裕・編集
   関連頁:(千田小学校の)若潮千通会・記念植樹:碑

’01.12.29 撮影
広島市南区比治山公園(陸軍墓地)

’07.03.14撮影

’03.09.27 撮影

45柱
由来記
  船舶特別幹部候補生は 第二次大戦の末期 風雲急を告げる戦局打開のため志願応募した学徒少年兵で若潮部隊と称されていた
主力は海上挺進戦隊として小型舟艇に爆雷を搭載し 先輩は比島及び沖縄に出撃千有余名の者が散華していった
船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊は小豆島での基礎教育後広島に転属 ○ユと称した輸送船舶の通信要員として千田国民学校を宿舎として教育を受けていた八月六日朝点呼中校庭で被爆 帰営中の三期生を含め 全員が重軽傷を負い特幹隊は壊滅の状態に陥った
各施設に収容されたものの 終戦の混乱で治療もままならず 旬日のうちに幾十名の者が散華していった
  昭和四十五(1970)年以来生存者有志相集い これら友の惨死を風化させるにしのびず 相はかりて還らざる友の冥福を祈りあわせていまわの声を継承し とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである

昭和五十(1975)年八月吉日   元船舶通信補充隊特別幹部候補生隊・若潮千通会有志一同建立

’01.12.29 撮影



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