牛田供養塔

  お袋(二葉の里・第二総軍司令部で被爆した)が、この牛田公園からそんなに遠くないとこに住んでいるのに、この牛田供養塔をわたしは知らなかったのです、毎年慰霊祭が催される事も今(2001年)回聞いたのです(以前わが一家も近くに住んでいたので女房はその事知っていました)。
多くの方々が、助けを求め・水を求めこの地にも逃げてきて、悲惨な姿で亡くなったと聞くにつけ、再びこのようなことがあってはならないとの思いが募ります。
あまりにも無関心で過ごしてきた日々であったと、無知からはじめた原爆関係慰霊碑巡りのぶらり散歩なのです。
※この近くに住んでいたおじさんが、1945(昭和20)年に書き残した原爆記を掲載しました。  03.05.31裕追記
牛田国民学校(爆心地から≒2450m、陸軍の救急薬品が多量に保管されていた)は、臨時救護所に指定され翌(8月7日)には呉の海兵団派遣の医療救護班が到着し、運動場にテントを張って医療活動を展開しました。
負傷者は次々に亡くなりその数は760余りにも及びました、町内警防団などの人々で(いまは慰霊碑が建立されている)牛田公園で荼毘にふしたが300余名に及ぶ方々の身元は分からぬままでした。
☆資料は、『牛田小学校学童疎開』集の中の当時牛田国民学校教頭・山下鉄夫先生の手記を参照しました。  07.04.13裕追記
平和記念公園の「原爆供養塔(身元がわからない遺骨、氏名が判明しながら遺族のわからない遺骨を安置している)」の説明板の牛田関連の記述をみれば、牛田町地内300柱、牛田小公園220柱と書いてあります。
08.07.13追記  01.12.07裕・記編集

’08.07.01撮影
広島市東区牛田中2‐3 牛田公園

’01.12.07 撮影

’08.07.01撮影

’01.12.07 撮影 
観音様 (慰霊碑:碑文) 清 霊

’08.07.01撮影

’01.12.07撮影
牛田地区町民ならびにこの地域での死没者760余柱

建立者:任都栗 司
昭和25(1950)年に供養塔が建立
昭和44(1969)年建て替えられ
昭和45(1970)年6月観音像が建立された(と聞きます)



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