大手町・原爆犠牲者慰霊碑

  慰霊碑の碑文を探せませんでしたのでこの附近のことを広島原爆戦災誌では、
大手町は元安川に沿って爆心地附近から現在の鷹野橋商店街辺りまで長い町で、1丁目から9丁目まであったそうです。広島原爆戦災誌では大手町1丁目から7丁目を国泰寺地区、8丁目・9丁目を千田地区と分けて記述しています。
『建物被害は大手町1丁目〜6丁目までは100%全壊、7丁目で全壊90%半壊10%、人的被害は1丁目〜6丁目まで100%即死、7丁目で即死81%、負傷19%と記述があります大手町8丁目、9丁目は全焼、人的被害不明。』と記述があります。
また原爆戦災誌には、江田島から救援に出動した陸軍船舶練習部隊隊員がみた惨状が記述されています(ほんの一部です)
「・・・・次々と片づけているうちに思わず愕然とする死体にぶつかった。仰向けに倒れている妊婦の腹が大きく裂けて露出した大小の腸がそこら一面に散らばり、然もその先には胎児が転がっているのだ。なんとむごたらしい死体だろう。思わず釘づけされたように一同その場につつ立ったまま動こうともしない・・・・」
大手町 世帯数 住民数
1丁目 280 1045
2丁目 260 1055
3丁目 220 -
4・5丁目 230 432
6丁目 280 797
7丁目 450 -
8丁目 170 630
9丁目 508 1605
原爆戦災誌を参考にしました
06.09.13追加     06.02.25追記   01.10.30裕・編集

’06.09.11撮影
広島市中区大手町5-29 新明治橋東詰南側(川土手)

’01.10.25 撮影

’01.10.25 撮影
昭和45(1970)年8月6日
鷹野橋商店街振興組合建立
 理事長 新長 武
衆議院議員
灘尾弘吉 書



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