折り鶴の碑

  1955(昭和30)年広島市立幟町中学一年の佐々木禎子さん(2歳で被爆)は、突然発病した原爆による白血病のため、12歳の短い生涯を閉じました。
八ヶ月の闘病生活の間、病気が治ると信じて折り続けた千羽鶴。千羽を超えた後もベットの上で黙々と折り続けたそうです。(折り鶴は針を使って折った米粒大の折り鶴や薬包紙、包装紙などで折られたものがあるそうです。)サダコさんの物語はやがて国の内外に広がり、多くの折り鶴が広島に届けられるようになりました。
  広島駅から縮景園に行くとき、または帰るときに、この幟町中学に建立されている「折り鶴の碑」がみれるのです。
今(2007)年平和記念式典後少しばかり慰霊碑を巡り、縮景園の入口飾りを撮影し、少々疲れてトボトボと広島駅に行こうとしたとき、いつもと違う景色にオヤ〜と思ったのです。
画像でお分かりになるのでしょうが、いままで開放された空間にあった「折り鶴の碑」の前に柵が設置されていたのです。最近不審者が学校に進入し児童生徒に危害を加えるという卑劣な事件をしばしば見聞きするようになっていたから、危機管理上の処置かと思いましたが、こんな事をしなくてはならない世の中にしたのも、いまを生きる(わたしも含めた)わたし達大人の責任かなと悲しくなり、疲れがドッと出て重たい足取りで帰宅しました・・・・
07.08.24更新     01.10.20裕・編集

’07.08.06撮影
広島市中区上幟町14(幟町中学校内)

’06.10.23撮影
 建立:2000(平成12)年3月25日



’01.10.15 撮影

’01.10.15 撮影
佐々木禎子さんの命日である10月25日に折り鶴を碑の上に置き、世界平和を築く決意を表するそうです。
広島市中区上幟町6 幟町中学西側(2002年訪れたのですが撮影できませんでした・・・)
後日わかったのですが必ずしも命日ではなく学校の平和集会の時だそうです





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