(広島逓信局)郵政関係慰霊碑

慰霊のことば
  昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、世界最初の原子爆弾が広島の地に投下され、一瞬にして街は焦土と化し、20数万の尊い生命が失われました。焦げ付く太陽の下、炎に追われながら水をもとめてさまよい歩く被災者は数しれず、また焼けただれた遺体が至る所ににころがり折り重なって、まさに焦熱地獄の惨状を呈していたといわれています。郵政部内においても、当時の広島郵便局の288人をはじめ、西部逓信総局・広島逓信局・広島逓信病院・広島地方貯金局・広島市内各郵便局の職員等、合わせて500有余人(※518柱とも聞きます)が尊い犠牲となられたことは、誠に痛恨の極みであります。
あれから30有余年が過ぎた今日も、原爆の後遺症に苦しんでおられる人が多いことを思うとき、再びこのような悲劇が繰り返されてはなりません。皆様の霊を慰め永遠の平和を祈念するため、昨年被爆30周年を機に、遺族・退職者・全逓労組・全逓被爆者の会、並びに郵政局・監察局、それぞれの代表者により「原爆慰霊碑建設委員会」を設け、有志の浄財によってこの碑を建立しました。どうか安らかにお眠りください。
 
昭和51(1976)年8月6日
原爆慰霊碑建設委員会
06.06.06追記   01.10.20裕・編集

04.04.22撮影
広島市中区東白島19-8 前・中国郵政局 (2003年4月1日より郵政公社中国支社)
建立:昭和51(1976)年8月6日 原爆慰霊碑建設委員会(遺族・退職者・全逓労組・全逓被爆者の会、郵政局、監察局)

’01.10.15 撮影

04.04.22撮影

06.02.28撮影
(復元された)旧広島逓信局の階段、慰靈碑、被爆アオギリ二世

’01.10.15 撮影

06.02.28撮影

’01.10.15 撮影
広島逓信局の被爆状況・掲示写真 旧広島逓信局の階段 (千田町にあった)広島貯金局
栗原貞子さん作『生ましめんかな』碑
   栗原貞子さん (歌人)
1913 大正2年3月4日 広島市可部町に生まれる
1945 昭和20年8月6日 広島市祇園町長束で被爆
2002 平成14年1月1日 新世紀を平和の世紀に’のメッセージを出されました。
2005 平成17年3月6日 死去









































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