|
日赤病院の玄関前の丸い花壇の上に、材木のように重ねて置かれた中学1年、2年生の遺体がありました。
名札には広島二中と書いてありました。
放射状に重ねられた中学生の遺体にはやけどはなく無傷のままに息絶えていました。
この中の何人の遺骨が母の懐に抱かれたのでしょう。
1945(昭和20)年8月7日 河野きよみ |
|
| 『被爆者が描いた絵を街角に返す会』の第9号碑として今(2005)年建立されたことは報道で知っていましたが、今回の交流ウォークの時にはじめて拝見しました。河野きよみさんが2002(平成14)年に描いた絵だそうです。わたしにはどうにもできぬ過去のこととはいえ、淡々と描かれているように感じたゆえの空しさで目頭が熱くなりました・・ |
|
|
|
|

06.09.11撮影 |
| 広島市中区千田町1-9-6 広島赤十字原爆病院前庭 |
|

05.09.16撮影 |
|
 |
| 説明文 |
| 日赤病院の玄関前の丸い花壇の上には材木のように重ねて置かれた中学一年、二年生の遺体がありました。名札には広島二中と書いてありました。
|
| 八月七日 |
| 放射能に斃れし少年無傷なりゲートルを巻くあどけなさ |
| 河野きよみ。 |
| 当時市内では多くの児童生徒が建物疎開などに動員され。約6000人が被爆死しました。広島二中生は爆心地近くの1年生を中心に298人※が亡くなっています。その半数近くの遺骨は不明のままです。 |
| ※県立広島第ニ中学校慰霊碑 |
|
| 被爆60年 2005年8月6日 制作:被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会/広島赤十字・原爆病院 |
|