広島(陸軍病院)赤十字病院・原爆被災説明板

  日本赤十字社広島支部病院として昭和14(1939)年2月鉄筋コンクリート3階建、地下1階として竣工し、昭和20(1945)年8月6日原爆により窓ガラスは吹き飛び窓枠はねじ曲がり内部も大破し、隔離病棟・看護婦生徒宿舎などの木造建築物は全半焼したあと周辺からの類焼で全焼したが、本館・1号館・2号館は懸命な防火活動で類焼を食い止めたそうです。収容中の患者250名中5名と病院関係者69名が犠牲になったそうで、被爆直後から多くの被爆者が救護を求め集まり、救護活動22日間に延べ31,000人以上(陸軍病院でもあったこの病院には他病院以上の医薬品が備蓄されていたがたちまち使い果たした)に上ったそうです。
被爆当時:広島陸軍病院赤十字病院  爆心地より≒1500m
原爆資料館展示の(原爆で)感光したレントゲンフィルム撮影しました。

現在の広島赤十字・原爆病院’05.10.10撮影
関連頁:マルセル・ジュノー博士記念碑 06.09.14追記   02.11.10裕・編集

’02.10.31 撮影
広島市中区千田町1-9-6  広島赤十字原爆病院電車通側

’02.10.31 撮影
広島赤十字病院・原爆被災説明板
爆心地から約1.5km
鉄筋コンクリート3階建のこの病院は 原子爆弾の強烈な爆風により外郭だけを残して破壊されました。
当時この病院の一部は 広島陸軍病院分院としても使用されていました。
地下室に置かれていたレントゲンフィルムがすべて感光したことにより、この爆弾が原子爆弾であることが立証されました。
被爆後 生き残った医師・看護婦は、救護を求めて集まってきた被災者に残されたわずかな医療資材を用いて治療を続けました。
写真説明:外郭だけを残す赤十字病院 
1945(昭和20)年9月 川本俊雄氏撮影



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