馬碑(輜重兵第五聯隊跡)

  空鞘橋東詰南側の基町河川公園の一角、木立の中に隠れるように建立されています・・・元はここから≒200mほど南東(爆心地に近い方向)に建立されていたそうです。
爆心地から≒670m (被爆当時町名も基町)
明治20(1887)年の地図を見たとき当時・調馬主管があった場所だったのかと、軍馬も戦争遂行の一翼をになっていたのだと改めておもったのでした。
今(2007)年になって近くをぶらり散歩したとき、新しい説明板が設置されている事に気がついたのです。読むと、軍隊(輜重隊)と馬の繋がりがよくわかる文章で書かれていましたので追記しました。
爆心地からの距離は「ヒロシマの被爆建造物は語る」の資料を参考にしました 07.07.20追記  05.08.14追記  01.04.10裕編集

01.04.05撮影
輜重(しちょう)兵第五聯(連)隊
隊跡、馬碑 
昭和三(1928)年秋十一月建之
  輜重兵第五連隊も昭和20(1945)年8月6日の被爆を受けたということでここに取り上げました。輜重は軍需物資や兵糧などの補給は馬に頼っていました。
は衣類をのせる車、は荷をのせる車。
旧日本陸軍で武器・弾薬・糧食・被服など軍需品の総称、またこれらの補給・輸送を担当する部隊や機関。
広島市中区基町14  基町河川公園(空鞘橋東詰南側)

03.03.28撮影

05.07.10撮影

05.07.10撮影

07.02.21撮影










































































































西




沿































































































































































































































 




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調













































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