広島県職員原爆犠牲者慰霊碑

  昭和20(1945)年8月6日に投下された原子爆弾により壊滅・全焼しました。
この被爆により、県庁舎や県の関係機関において、1141名
(1960年建立の慰霊碑には八百有余とあります)にも及ぶ広島県職員が犠牲となったそうです。
1945(昭和20)年8月6夕刻、倒壊・全焼した県庁は(緊急避難先に指定されていた)多聞院に県防空本部が置かれました。8月7日には、現在の中区銀山町の東警察署に(8月19日までの約二週間)移されました。
その後、安芸郡府中町(現在のマツダ株式会社内)に移されました。
1946(昭和21)年6月〜1956(昭和31)年、霞町の旧・広島陸軍兵器支廠へ移されました。
1956(昭和31)年4月、現在地の(中区)基町に移転しました。

























































































































































































05.08.02碑文追編集    01.09.10裕・編集

05.07.28撮影
広島市中区加古町17 本川堤防上

’01.09.08 撮影

05.07.28撮影
広島県職員原爆犠牲者慰霊碑 裏面(碑文)
  この『広島県職員原爆犠牲者慰霊』碑の後ろ(北側)に「地磁氣測量」の石碑が設置されています

’01.09.08 撮影
旧広島県庁舎
  この建物は、明治11(1878)年当地の広島市中区加古町(当時の水主町)に広島県庁舎として新築されました。
以来67年間にわたり、広島県行政の中心としての役割を担ってきましたが、昭和20(1945)年8月6日に投下された原子爆弾により壊滅しました。この被爆により、県庁舎や県の関係機関において、1141名にも及ぶ広島県職員が犠牲となりました。
その後県庁は、安芸郡府中町(現在のマツダ株式会社内)、広島市霞町(現在の広島大学医学部附属病院内)を経て、昭和31(1956)年に広島市基町に設置され、現在に至っています。
 平成7(1995)年8月6日 広島県



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