新聞関係者の原爆で命を奪われた126名の冥福を祈り、不戦を誓った碑。
太平洋戦争末期には中国新聞社にも国民義勇隊が編成され他の新聞社、通信社の広島支局職員もこれに編入され総勢363名だったそうで、昭和20(1945)年8月6日もそのうちおよそ40名の方々が水主町附近(現・加古町のこのあたり)の建物疎開に動員され全員が爆死されたそうです。 |
※ご存知の方からはそんなこともわからないのかと言われる事でしょう。
(どちらかというと意匠系だったわたしですが)この碑の形が何を意味しているかは知りませんでした、今回(2005年7月16日)まちづくり交流ウォークの時に教えていただき横から撮影しました。『輪転機で新聞を印刷しているイメージとPENのPという文字を表している』そうです・・・ |
|
| 中国新聞 |
114名 |
| 同盟通信(現・共同通信) |
5名 |
| 西日本新聞 |
2名 |
| 読売新聞 |
2名 |
| 朝日新聞 |
1名 |
| 毎日新聞 |
1名 |
| 合同新聞(現・山陽新聞) |
1名 |
|
|