|
昭和20(1945)年8月6日広島が人類最初の原子爆弾により、一瞬にして二十数万の尊い犠牲者を生ずるに至った。爆心地に極めて近かった元広島陸軍病院に勤務の職員以下及び入院中の患者等被爆死された方々の御霊を永遠にお祈りするため、同病院関係の生存者で職員その他有志並びに遺族賛助者等により、広島陸軍病院原爆慰霊会を結成し昭和30(1955)年8月6日原爆十周年を記念しこの病院跡に当時の表門石柱を碑として台石は全部同病院の庭石等を用い、ここに「広島陸軍病院原爆慰霊碑」を建立した。
ついで昭和50(1975)年8月6日三十周年記念として地名碑の建立並びに同病院の遺跡(明治以来の記念碑及ぶ被爆当時の裏門石柱など)保存と併せて敷地の整備をも計画し昭和52(1977)年8月6日完功するに至った。 |
|
御霊よ どうぞ 安らかに お眠りください。 合掌 |
| 資料によると、この広島陸軍病院慰霊碑の前に保存されている門柱は、広島第二陸軍病院裏門の門柱で、爆心地から≒1110mと記載してありました。 |
| 07.07.02追記 01.04.10裕・編集 |
|
|

’03.06.17 撮影 |
| 広島市中区基町17 太田川土手 |
|

’03.06.17 撮影 |

’01.04.05 撮影 |
1955(昭和30)年「広島陸軍病院原爆慰霊碑」建立。
1978(昭和52)年8月6日に 記念碑が建立された。 |
|
|

’03.06.17 撮影 |
1945(昭和20)年5月広島陸軍病院は、広島第一陸軍病院、広島第二陸軍病院、大野陸軍病院(元赤十字病院結核療養所)に分けられたそうです。
第二陸軍病院本院は、
|
| (原爆被災説明板では)爆心地から約1000m |
| の処にあり、被爆当時の入院患者750名、職員330名だったそうで、被爆で第二陸軍病院は炊事場の煙突一本を残して全病棟が倒壊・全焼し、辛うじて脱出した人達も、数日のうちに亡くなっていかれたといいます。 |
|
| ※爆心地からの距離が資料によって違いますが大きな敷地だったので測点によって違うと理解していますが。 |
|
|
| 広島衛戍(えいじゅ)病院 |
当初、広島鎮台病院として設置され、陸軍予備病院、広島衛戍病院、広島陸軍病院と名前を変えました。
太平洋戦争中は、基町地区だけで、4000床以上の収容力があったそうです。 |
| 資料はヒロシマの被爆建造物は語るを参考にしました |
|
えいじゅ
衛戍 |
軍隊が常時駐屯して警備すること。 |
| 衛戍病院 |
旧陸軍で衛戍地に設けていた病院。 |
|