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決して忘れることのできない1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分。あの日、米国の投下した一発の爆弾は、強烈な熱線と爆風と放射能を発した。一瞬にして奪われた尊い命は20数万、その殆どが女性・小供・老人であり、半数の死者が未だに氏名不詳。人も、馬も、木も、建物も、電車もすべてが焼かれ、一つの社会を崩壊させた。家族を失い、職場を失い、くらしを失い、心身を破壊された被爆者の筆舌に尽くしがたいその後の苦しみとたたかい。あれから半世紀、この事実を歴史から消し去ることはできない。今なお、地球上には多くの核兵器が蓄積され、核固執勢力も依然として存在し続け、戦争の火種はくすぶり絶えてはいない。
私たちは訴える。すべての戦争の火種を絶やすために。すべての核兵器を地球上から無くすために。次代を担う世代に平和な地球を残すために。私たちは伝える、次代を担う世代に。戦争の悲惨さを。核兵器のむごさを。何よりも平和の大切さを。私たちは行動する。再び被爆者をつくらないために。ヒロシマ・ナガサキを繰り返さないために。あの日の謝罪と核軍拡戦争に加担しない「証し」として「真の国家補償による援護法」制定のために。あらためて「核戦争阻止・核兵器廃絶・真の被爆者援護法制定」の実現にむけて。
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ |
| 1995(平成7)年7月28日 全労働省労働組合広島支部 原爆被爆者援護対策委員会 |
| この碑を道路(遊歩道)側からみると1988(昭和63)年4月26日全労働省労働組合広島支部結成30周年記念植樹という事がわかりました、川側からみると『核兵器廃絶を平和こそいのち』の文字が読め側面に上記が刻まれた金属板が1995(平成7)年に追加取り付けられたものとわかりました。 |
京橋を撮影しようと思っていたときに気がつき撮影しました。このような碑がまだまだあるのではと思いました。
この碑の近くに労働会館があった事から平和記念公園付近ではなくこの京橋川河畔の緑地帯に建立されたのかなおもいましたがわたしは。 |
| 06.09.28裕・記編集 |