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資料にある海宝寺に建立の江波地区町民慰霊碑(江波遺族會)を訪ねたのです、
資料にある慰霊碑はなくこの戦没者慰霊碑が建立されていました。資料では1957(昭和32)年3月建立で1977(昭和52)年10月追加施工とありますので、この石碑に建替えられたのかなと思ったのですが詳細は現在のところわたしにはわかりません。
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当初建立された慰霊碑は、1983(昭和58)年にこの戦没者慰霊碑に、江波遺族会によって再建されたそうです。
碑裏の「日華事変大東亜戦争戦没者氏名」には319名の方々のお名前が刻まれています。
原爆犠牲者との表記はありませんが、(資料によると)遺族会名簿によると、軍人41名、軍属6名、国民義勇隊38名、挺身隊4名、動員学徒101名の方々計190名が原爆で犠牲になられたそうです。 |
お寺に建立の慰霊碑がだいたい本堂近くに建立されていますので本堂の周りを観てみましたがこの碑しかありませんでしたので、頭を垂れ撮影しました、裏面に戦没者のお名前が刻まれた石版が嵌込まれていました。
2007年11月交流ウォーク探検隊で再度訪ねた海宝寺で頭を垂れたこの戦没者慰霊碑のこと、資料を見ていると(以前は見逃していた)記述がありこの碑の建立年戦没者の内容などがわかりましたので追記しました。 |
| 07.12.04追記 07.06.26裕・記編集 |
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07.04.08撮影 |
| 広島市中区江波南1-11-12 |
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07.06.06撮影 |
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| 戦没者慰霊碑 |
日華事変大東亜戦争戦没者氏名 |
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にっかじへん
日華事変 |
1937(昭和12)年7月7日・盧溝橋事件にはじまり、1945(昭和20)年8月15日・日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争。
当初、日本政府は北支事変とよび、不拡大方針をとったが、軍部は戦線を拡大して主要都市・鉄道沿線を占領、宣戦布告のないまま、全面戦争に発展。
中国は1937年9月の第二次国共合作による抗日民族統一戦線が各地で抗日戦を強化した。1941年12月太平洋戦争の開始後は第二次大戦の一環となった。
当時、日本側は支那事変・日華事変・日支事変とよんだ。 |
だいとうあせんそう
大東亜戦争 |
第二次大戦のうち、アジア太平洋地域が戦場となった日本と米・英・オランダ・中国など連合国との戦争。
日中戦争の行き詰まり打開のため、1941(昭和16)年12月8日・日本は米・英に宣戦、一時は南方諸地域を制圧したが、ミッドウェー海戦を転機に42年後半から守勢一方となり、1945(昭和20)年8月、アメリカの広島・長崎への原爆投下やソ連の参戦などによりポツダム宣言を受諾して、8月15日無条件降伏した。
当時は大東亜戦争と呼ばれていた。
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