韓国人原爆犠牲者慰霊碑

  1910(明治43)年8月22日「韓国併合」に関する日韓条約を強行調印、戦時中の労働力不足の為強制連行や徴用によって約300万人もの朝鮮の人々を日本各地で働かせていました、広島市内では数万人が被爆し(碑文によると)2万余人が亡くなったそうでその方々への慰霊碑です。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑は、当初朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという『ゆかり』から本川橋西詰北側に建立さていましたが、1999(平成11)年7月平和記念公園内に移設さました。
  『平和記念公園内への移設については広島市と関係者(「総連」「民団」)との協議により、公園内に南北統一碑を建立することになったが、碑文等の問題で折り合いがつかず、当面の措置として1999(平成11)年7月この碑が、公園内に移設された。』とわたしは聞いていますが・・・
04.07.15追記  02.09.20裕・記編集
   関連頁: (韓国人原爆犠牲者慰霊碑)移設お知らせ板

02.09.15撮影
「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事にならって、
亀を形どった台座の上に碑柱が建ち、その上に双竜を刻んだ冠が載せられてる。

02.09.15撮影
慰霊碑の由来
第二次世界大戦の終わり頃広島には約十万人の韓国人が軍人
軍属、徴用工、動員学徒、一般市民として在住していた。
1945年8月6日原爆投下により、2万余名の韓国人が一瞬
にしてその尊い人命を奪われた。
広島市民20万犠牲者の1割に及ぶ韓国人死没者は決して黙過
できる数字ではない。
爆死した これら犠牲者は誰からも供養を受けることなく。そ
の魂は永くさまよい続けていたが、1970年4月10日
在日本大韓民国居留民団広島県本部によって悲惨を強いられた
同胞の霊を安らげ 原爆の惨事を二度と くり返さないこと
を希求しつつ平和の地、広島の一隅に この碑を建立された。
望郷の念にかられつつ異国の地で爆死した霊を慰めることは
もとより 今もなお理解されていない韓国人被爆者の現状に対
しての関心を喚起し一日も早い良識ある支援が実現されること
を念じる。
韓国人犠牲者慰霊祭は毎年8月5日この場所で挙行されている

在日韓国青年商工人連合会及び有志一同
建 立   1970(昭和45)年4月10日
建立者  韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会
関連頁:(広島の)原爆被害

04.07.01撮影
韓国語(での)由来板 英語(での)由来板 慰霊碑

04.07.01撮影

04.07.01撮影

04.07.01撮影
韓国人原爆犠牲者慰霊碑 碑側面
李孝祥元韓国国会議長揮毫
後面
韓甲洙ソウル大教授書

03.01.06撮影
碑石: 墓石と頭部の龍の彫刻石=慶州石 、中枢石=忠清南道の熊川



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