広島市立高等女学校原爆追悼碑

































































































ここ持明院に建立の追悼碑は、1951(昭和26)年8月6日木挽町(現:中区中島町)にあった持明院に建立されました。
1966(昭和41)年持明院の移転にともない現在地の持明院に移設されました。
現在、平和大通り緑地帯に移設されている慰霊碑には原爆という文字はありません(占領下、原爆慰霊碑の建立が許されず当初『平和塔』として校内に建立され、その後「校内に慰霊碑を作ってはならない」という広島県の通達で持明院に隠されたりしたのです)。
持明院建立のこちらの碑には「市女原爆追悼碑」と原爆の文字が使われています。
   広島市高等女学校は、
   広島市立第一高等女学校を経て
   戦後、広島二葉高等学校になり
   さらに現在の広島市立舟入高等学校へとなっています。
※資料は慰霊碑解説のしおり(被爆体験証言交流の集い編)他を参考にしました
06.06.11裕・編集

06.05.17撮影
広島市東区戸坂千足1-12 (持明院境内)

06.05.17撮影
追悼碑の根際に碑説明石碑が建立されています 碑裏に追悼歌が刻み込まれています

06.05.17撮影
































































 














































 

































































































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(平和大通に建立)市女原爆慰靈碑
持明院
(持明院に建立)市女原爆追悼碑