三菱造船職員慰霊之碑

  1943(昭和18)年4月三菱重工広島造船所、機械製作所がここ観音地区に竣工し、軍需品(魚雷艇等)を造っていたそうです。1945(昭和20)年8月6日原爆による215名の犠牲者の慰霊とともに職務災害で亡くなった殉職者も慰霊対象だそうです。
この碑が建立されていることは資料で以前から知っていましたが、行く機会がありませんでした。観音小学校の被爆樹木を撮影に行ったときに足を伸ばして訪ねました。
碑文は碑の廻りには見当たりませんでしたが、前日降った雪が碑の裏側に僅かですが残っていました。
06.01.01裕・編集

05.12.06撮影
広島市西区観音新町4-8-2 (三菱会館裏)

05.12.06撮影
建立:1960(昭和35)年1月5日

05.12.06撮影

05.12.06撮影

戦時中、三菱重工は観音地区の機械製作部門、江波地区に造船部門があり、多くの動員学徒や女子挺身隊員などや朝鮮人の強制連行された人々も働いていたそうです。
平和記念公園に建立の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」碑文には広島市内では数万人が被爆し2万余人が亡くなったと記述があります。


わたしは報道ではじめて知ったのですが、
元三菱徴用工の韓国人被爆者6名が国と三菱重工に対し被爆補償一人当り1000万円と未払い賃金相当額6655万3510円の損害賠償を請求した三菱重工朝鮮人強制連行損害賠償請求訴訟が起されています。昨(2005)年1月広島高裁は原告の請求を一部認めましたが、最終判断を最高裁にゆだねることになったと報道で知りました。



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