尾長町慰霊碑

  碑文は慰霊碑の廻りには見当たりません(気がつきません)でした。
広島原爆戦災誌によると
  被爆当時、尾長町は尾長町東山根(265戸265世帯1058人)、尾長町西山根(115戸120世帯490人)、尾長町丸山(115戸127世帯455人)、尾長町片河(439戸416世帯1673人)、尾長町尾長(220戸288世帯1232人)、尾長町岩鼻(58戸61世帯256人)、尾長町三本松(157戸157世帯720人)とわかれていました。
尾長町で全壊≒1%、半壊≒90%、小破≒10%、無事≒1%、即死者≒16%、負傷者≒26%、無傷の者58% ;尾長町岩鼻で全壊≒1%、半壊≒30%、小破≒70%、無事≒1%、即死者≒30%、負傷者≒70%、と記述があります。8月6日尾長分隊(東山根地区)220人が鶴見町の家屋疎開作業に出動中(作業打合中)に被爆しましたとあります。
05.05.15裕・編集

05.04.16撮影
広島市東区曙2-4 尾長公園

05.04.16撮影

05.04.16撮影

05.04.16撮影
広島市長 山田節男(揮毫)
明治百年記念事業
昭和47(1968)年12月建之
尾長町内会慰霊碑建設委員会



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