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| 原爆を投下した米国にも原爆投下に心痛めた人たちはおられ広島の復興をねがった、その一人がここにとりあげたフロイド・W・シュモー博士※なのです。 |
| 新聞報道で秋葉広島市長が移転先未定で移転保存する方針を2004年10月22日に明らかにした事を知りました。なかなか撮影に行けませんでしたが先日の「シュモーの庭」に続き撮影に行きましたが、場所がわからずご近所の方々に何度かお聞きし、親切に教えていただき撮影することができました。 |
| 今(2007)年、2年ぶりに訪ねてみました、(借金だらけの広島市の財政からか)移転保存については進んでいないようでした、物質というものは永久保存ということは難しいと思うわたしです、人も寿命というものがあります、永遠不滅なるものがあるとすれば精神・・・次の世代に受け継がなくてはならない精神こそ失ってはならないことと思いながら、シュモー博士が指し示してくれた「広島市民に対する暖かさ」を・・・そんな事を思いながら佇んでこの会館をみていました。 |
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尊敬を込めて博士と呼ばれていましたが、実際は博士号は取得していなかったそうで、1983(昭和58)年その事を知ったタフツ大学准教授だった秋葉忠利(現在広島市長)が同大学に「ヒロシマの恩人」シュモー氏に『人間愛』の名誉博士号を贈ろうと呼びかけ実現したそうです。 |
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中國新聞記事で博士の称号について知り、参考にしました。 07.8.28追記 |
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| 08.01.02追記 05.02.25裕・記編集 |
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05.02.25撮影 |
| 広島市中区江波二本松1-2-40 |
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05.02.25撮影 |
| 木造平屋建 54,5u (敷地は国有地だそうです) |
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江波二本松の「シュモー会館」の名は、この館を建てた米国の森林学者シュモー博士(Floyd W. Schmoo 1895-2001)に由来します。
原爆によって家を失った広島の人々に一軒でも多くの家を建てようと、氏の呼びかけによって募金活動が始まり、昭和24(1949)年、約4000ドルが集まりました。同(1949)年8月シュモー博士は広島を訪れ、集まった募金を市に贈るとともに、地元学生らの協力のもと、自らも汗を流し、まず皆実町に4戸の家を完成させました。このヒューマニズムあふれる援助は、当時「国境越えた愛の聖汗」と賞賛されました。
その後も毎年のように広島を訪れ、あわせて19戸もの家を建てています。この「シュモー会館」は、その中のひとつで、昭和26(1951)年に公民館として建てられたものです。
氏はこう語っています。「戦争で一番深刻に傷ついたのは国家ではない、都市でもない、ただ個人である。平和運動は言うことではない、行うことである」。彼のこの言葉の実践がシュモーハウスの建設だったのです。
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シュモー博士の回想録「日本印象記」には、初めて広島を訪れた時の住宅建設の経緯がユーモアたっぷりに描かれており、当時の外国人が見た広島の様子がいきいきと映しだされていて、大変興味深い内容になっています。
広島市の戦災復興は、市民のたゆみない努力の賜物であることはいうまでもありませんが、海外からの温かい善意と浄財に追うこともまた大きかったことを「シュモー会館」は私たちに語りかけています。なお、シュモー博士の功績を称え、広島市は昭和58(1983)年、特別名誉市民の称号を贈っています。 |
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07.08.18撮影 |
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