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| 米軍投下の原爆によって米国人が亡くなっていたことは以前資料を調べていて少し知ってはいましたが、「被爆死した捕虜も同じ原爆犠牲者である」と地方史研究家で被爆者でもある森重昭氏が建立(設置)されたという慰霊銘板を今(2004年)回撮影にいったのです。英国情報部が米軍人捕虜が廣島に収容されていることを米国に通告していた事を無視しての原爆投下だったとも聞きます、捕虜になった爆撃機の生き残りで、戦後広島を訪れた機長の言葉が記事になっていました。 |
| 「戦争は破壊と憎しみを、平和は繁栄と幸福をもたらすことを私たちは学んだ。この事実を次世代に伝えたい」と・・・ |
| 2006年交流ウォーク時、片岡会長がこの銘版の下に旗を挿せる金物があり、花輪が置ける棚がある事を話され、8月6日原爆忌に花輪が置かれ、国旗が飾られるのかもしれないと云われたのです。わたしは2004年訪ねたときには銘板と新聞記事に目がいき、気がつかなかったのです。2006年8月6日11時過ぎに訪ねてみましたが普段と変わりなかったのです、国旗が飾られるのは米国の独立記念日(7月4日)かもしれないと思ったのですが・・・ |
| 06.12.10追記 04.06.25裕・記編集 |
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06.08.06撮影 |
| 広島市中区基町12-8 宝ビル北側外壁 |
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04.06.12撮影 |
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| この慰霊銘板の下に、朝日新聞のコピーが貼ってあります。 |
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憲兵隊司令部に収容されていた10余名(13名とも聞きます)の米軍捕虜全員が被爆死したといわれています。(設置)建立1998(平成10)年7月29日
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| 被爆した陸軍中国憲兵隊司令部 (爆心地より≒600m) |
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朝日新聞 |
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太平洋戦争末期、広島県呉市沖で戦艦榛名を攻撃中に撃墜された米軍爆撃機の機長、トーマス・カートライトさん(75)=テキサス州在住=が18日、同僚の慰霊に広島を訪れる。全乗員九人のうち六人は、捕虜として収容された広島で被爆死した。カートライトさんは尋問のため東京へ移送されて無事だった。これまで広島を訪れる気にならなかったが、「平和を真に理解するためには、戦争がどんなもんだったかを知らなくては」と来日をきめた。被爆者らと交流して核兵器廃絶を訴える。
1945年7月28日、カートライトさんが機長をしていたB24爆撃機ロンサムレディーは(沖縄の読谷飛行場から飛び立っち)戦艦・榛名を攻撃中に被弾し、山口県柳井市に墜落した。航空士はパラシュートが開かずに(小屋ケ谷に落下)死亡。射撃手一人が東京に連行され、カートライトさんは墜落の2日後将校尋問のために東京へ移された。残る乗員六人は広島市にあった中国憲兵隊司令部に留置され、8月6日を迎えた。
カートライトさんは退役後、(テキサス州の)大学で教壇に立った。
部下がどんなふうに亡くなったか気がかりで乗員たちの「最後の数日間」について調査したこともある。広島には82年に学会のため一度だけ立ち寄ったが、いたたまれなくなってすぐに立ち去ったという。
今回の来日では、憲兵隊司令部跡にある元米兵捕虜の慰霊板に参拝し、原爆ドームを見学。榛名の元乗組員とも交流する。「私は原爆で親しい者を失った数少ない米国人の一人。広島の痛みは私の痛みでもある。戦争は破壊と憎しみを、平和は繁栄と幸福をもたらすことを私たちは学んだ。この事実を次世代に伝えたい」と話している。 |
ロンサムレディーの乗員たち。後列右から2人目がカートライトさん
写真提供・いずれも森重昭さん |
| - 慰霊銘板の下に貼出されていた記事より - |
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米国人原爆犠牲者 |
中国憲兵隊司令部に撃墜機の乗務員を含め収容されていた13名の米軍捕虜がいたが全員被爆死したそうです。
他に広島での原爆で護送中だった米人捕虜23人が死亡したと1945年10月9日、国際赤十字が確認したが、米当局は公表を避けているという資料もありますが?・・・ |
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1977(昭和52)年1月7日広島で被爆死した米兵捕虜17人の名前が判明する。
1970(昭和45)年8月6日原爆死した米兵捕虜及び白系ロシア人2人の氏名が原爆死没者名簿に奉納された。 |
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(資料は広島新史より) |
Lonesome lady
(孤独な貴婦人) |
高射砲で燃料タンクを射貫かれ、搭乗員九人は順次パラシュートで脱出、無人となった機は山口県柳井市(山懐にある村落)伊陸へ墜落、大破した。
平成になり伊陸の地元の有志で「戦争の記録を残そう」と寄付を募り「平和の碑」を建立したそうです。 |
はるな
戦艦 榛名 |
艦名は群馬県西部群馬郡の榛名山から由来しているとか・・・
『金剛』型戦艦 基準排水量32,156t 全長222m 最大幅31,020m
1915(大正4)年4月19日竣工、以後何度かの改修を重ね、1945(昭和20)年7月28日喪失(大破着底)終戦後解体された。 |
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