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被爆から10年後の1955(昭和30)年8月5日 「広島第一県女原爆犠牲者追憶之碑」の除幕式が行われました。旧下中町の母校正門跡、現市医師会館南側の百米道路緑地帯の樹陰に建てられ、あの日あえなく散った岡校長以下297名の職員20名・生徒277名及び同窓生の霊を慰めるために、毎年8月6日に追悼慰霊祭がとり行われています。
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| 校舎は1922(大正11)年に新築されましたが、1945(昭和20)年8月6日原爆で灰燼に帰しました。被爆した当時の門柱が、慰霊碑の根際に残されています。 |
| 爆心地から≒650m 被爆当時町名:下中町 |
| 2004年原爆忌の8月6日に碑の前を通ったとき追悼式の準備中でした。2006年のまちづくり交流ウォークのとき碑の裏面・側面をみてみました。 |
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00.11.11撮影 |
| 広島市中区中町 平和大通南側緑地 |
| 碑の右側の石柱は当時の正門・門柱4本(爆心地から≒650m)のうちの一つです |
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00.11.11撮影 |

06.05.11撮影 |
原爆犠牲者
追憶之碑
廣島第一縣女 |
今学び舎のこの跡に 受難のあとを弔いて み墓の前にぬかずけば
無量のおもい胸にわく ああ師の君よわが友よ 鎮り給え安らけく |
| 碑裏:被爆当時2年生だった岸谷敝子さん(碑建立時・東大助教授)の哀悼歌が刻まれています。 |
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昭和20年8月6日遭難
職員校長共20名
生徒277名および同窓生 |
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04.08.06撮影 |
| 原爆犠牲者追悼式の準備が朝早くからおこなわれていました。 |
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広島県立広島第一高等女学校
| 1948 |
昭和23年5月3日 |
広島県広島有朋高等学校となる |
| 1968 |
昭和43年10月1日 |
広島県立広島皆実高等学校となる |
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