ジュノー広場

  1945(昭和20)年赤十字国際委員会の駐日代表として来日していたジュノー博士は、広島の原爆被災の惨状を聞くや、医師として放射能の恐ろしさを知りながら、15トンの医薬品とともに9月8日来広し、廃墟と化した市街地に入って、各所で自らも被爆市民の治療にあたった。
 博士によって届けられた医薬品の中には、日本では手に入らないものもあり、数多くの被爆者が救われた。
当時、救護所の一つであり、1日100人あまりの診療が行われていた袋町国民学校(現在の当校)においても、博士は被爆者の治療にあたられた。
広島の恩人であるジュノー博士の生誕100年にあたり、その人道的・献身的な行為に心から感謝し、この広場をジュノー広場と命名するとともに、末永く広島市民に語り継がれていくことを祈念する。
2004(平成16)年10月2日
  2006(平成18)年8月にはなかった新しい石碑が11月に設置されていることに気付き撮影しました、広場の石積の説明板でした。   
07.01.28追記     05.10.07裕・編集
関連頁 広島(陸軍病院)赤十字病院

’05.09.17撮影
広島市中区袋町6-36 まちづくり交流プラザ北側

’05.09.17撮影
ジュノー広場の顕彰碑 ジュノー博士レリーフ

’06.08.05撮影

’06.11.15撮影
ジュノー博士のレリーフを設置している石組みは広島城の外堀の石垣の一部です。
戦国時代の武将毛利元就の孫、毛利輝元にとって天正17(1589)年に広島城の築城が始まり、その後、内堀・中堀・外堀の三重の堀を巡らした大城郭になりました。平成13(2001)年に完成した紙屋町地下街「シャレオ」の工事の際に、大規模な外堀跡が発掘されその一部を袋町小学校に移設したものです。



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