(広島文理科大・広島高等師範学校)興南寮跡・碑

  この地は、かって興南寮であった。興南寮は、1944(昭和19)年〜1945(昭和20)年にかけ、広島大の前身である広島文理科大や広島高等師範学校に在籍した東南アジアの南方特別留学生が住んでいた宿舎であったが、1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の閃光を浴び焼失した。  昭和19(1944)年9月20日撮影
  2007年8月6日(月)、あの日の万分の一さえ想像することは出来ないわたしですが今(2007)年になってはじめて光禅寺のニック・ユソフさんの墓標前で頭を垂れながら8月6日には興南寮跡を訪ねてみようとおもっていたのです。
07.08.08追記   00.11.30裕編集
   関連頁:(光禅寺)南方特別留学生墓碑

00.11.11撮影
広島市中区大手町4‐8 元安川緑地   (碑銘は第四代学長飯島宗一氏のものだそうです)
(正面) 碑文 (裏面) 興南寮跡記念施設建設委員会
代表世話人 花岡俊男

07.08.06撮影
2007(平成19)年8月6日(月)頭を垂れた後撮影しました

07.08.06撮影
元安川対岸から興南寮があった付近をみました
「南方特別留学生」とは
  東南アジアの日本軍占領地で軍政当局と現地の人の間に入って指導的立場となる人材を養成する、「大東亜共栄圏」の占領政策の一環として生まれたものでした。
1943(昭和18)年〜1944年にかけてマライ、スマトラ、ジャワ、ビルマ、フィリピンなどから205名が集められました。 1944(昭和19)年4月に広島高等師範学校には20名が入学しました。
1945(昭和20)年4月配置換えがあり、9名が広島文理科大学の‘特設学級’で勉学していました、そのうちの4人が原爆の犠牲になったそうです。 
資料:西尾隆昌氏著広島のいしぶみはみつめるを参考にしました



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