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| 平和とは、戦争などの用語は・・・・平和記念式典の変遷を原爆ドーム保存の歩みはどうだったのだろうかなどなど、無知からはじめた豆知識・解説・用語集No.2の頁として分離したのがこの頁です。 |
| 08.08.07更新 2000.04.23裕・編集 |
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へいわきねんしきてん |
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| (通称) |
平和記念式典の変遷 |
(現在の正式名称)広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 |
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| 1946 |
昭和21年8月5日 |
(広島護国神社跡で)平和復興市民大会
市町会連盟主催で≒7,000人参加。木原七郎市長「平和都市 広島の建設に邁進しよう」とあいさつ。
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| 1947 |
昭和22年8月6日 |
(慈仙寺鼻の平和広場=現・平和記念公園で)平和祭、当時の浜井信三市長が『平和宣言』をする。 |
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☆ |
「お祭り騒ぎはもってのほか」などと遺族から平和祭協会に非難殺到。米ライフ誌が「未開地のカーニバル」と報道。 |
| 1948 |
昭和23年8月6日 |
第2回平和祭式典。「ノー・モア・ヒロシマズ」 の看板を掲げた。
英連邦軍総司令官ロバートソン中将が 「広島市が受けた懲罰は戦争遂行の途上受くべき日本全体の報復の一部」と演説。 |
| 1950 |
昭和25年 |
朝鮮戦争により中止
午前9時15分(夏季時間)、広島市内祈りを告 げるサイレンを鳴らす。慈仙寺鼻の供養塔前では遺族たちが焼香をする。 |
| 1951 |
昭和26年8月6日 |
(原爆供養塔前広場で)死没者慰霊祭と平和記念式典。(平和宣言の代わりに市長あいさつ) |
| 1952 |
昭和27年8月6日 |
4月28日対日講和条約発効後(平和記念公園で)初の慰霊式・平和記念式典 。
≒1,000人が参列。原爆孤児ら5人が原爆死没者慰霊碑を除幕。57,902人の原爆死没者名簿を奉納
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| 1953 |
昭和28年8月6日 |
広島市原爆死没者慰霊式・平和記念式。 |
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原爆犠牲者の慰霊と世界平和の実現を祈る内容での式典で、広島市は宗教的な行事ではないとの見解を示している。 |
| 1955 |
昭和30年8月6日 |
被爆10周年、≒50,000人が参列。
市内各職場合唱団が「ひろしま平和の 歌」「原爆を許すまじ」を合唱 |
| 1960 |
昭和35年8月6日 |
広島県、市共催の原爆15周年、慰霊式・平和記念式。
≒40,000人が参列。皇太子、清瀬一郎衆院議長が初めて参 列。 |
| 1965 |
昭和40年8月6日 |
被爆20周年。≒30,000人が参列。
佐藤首相代 理として官房長官が出席.
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| 1975 |
昭和50年8月6日 |
被爆30周年。≒40,000人が参列。
静かな祈り の場にと平和記念公園前の平和大通り900mを初めて通行止めにする |
| 1985 |
昭和60年8月6日 |
被爆40周年。≒55,000人が参列。
米3大テレビネットワークが全米に衛 星中継。海外13ヶ国報道陣が取材。 |
| 1995 |
平成7年8月6日 |
被爆50年、式典参列者は≒60,000人(過去最大の参列者)であった。
児童2人が初めて「平和の誓い」を読み上げる
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| 2005 |
平成17年8月6日 |
被爆60年、式典参列者は≒55,000人であった。 |
| 2006 |
平成18年8月6日 |
式典参列者は≒45,000人であった。 |
| 2007 |
平成19年8月6日 |
式典参列者は≒40,000人であった。 |
| 2008 |
平成20年8月6日 |
式典参列者は≒45,000人であった。(広島市発表) |
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ちょうせんせんそう
朝鮮戦争 |
大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で行われた戦争。
朝鮮の独立・統一問題が米・ソの対立とからんで、1950(昭和25)年6月武力衝突に発展したもの。両国ともそれぞれ米軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援を受けて一進一退を繰り返したが、北緯38度線付近で膠着状態となり、1953(昭和28)年7月休戦となった。朝鮮動乱。 |
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| 1945 |
昭和20年8月6日 |
(月)8時15分米軍投下の原子爆弾で破壊される |
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昭和20年9月 |
広島県が爆心地一体を記念施設として残す計画を決定 |
| 1947 |
昭和22年8月 |
広島市が原爆の被害を後世に伝えるため「原爆10景」※を選定(原爆ドームは含まれていません) |
| 1948 |
昭和23年8月 |
広島市観光協会、原爆ドームの存廃について世論調査を行う:72%が存続を希望 |
| 1949 |
昭和24年8月6日 |
広島平和記念都市建設法制定 |
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昭和24年10月 |
広島市が原爆ドーム保存について被爆者にアンケート調査:62%が保存を望む |
| 1953 |
昭和28年 |
原爆ドーム、広島県から広島市に譲与される |
| 1955 |
昭和29年4月1日 |
平和記念公園完成(〜昭和30年8月6日までに平和記念資料館、平和記念館整備) |
| 1962 |
昭和37年 |
原爆ドームの周囲に金網をはり、内側への立入りを禁止する |
| 1963 |
昭和38年10月 |
浜井市長「原爆ドームは補修してまで保存する必要はない』と表明
以後、保存の世論が急速に高まる |
| 1966 |
昭和41年7月 |
市議会にて満場一致で永久保存が決まる |
| 1967 |
昭和42年1月 |
浜井市長原爆ドーム保存募金の先頭に立つ
(募金目標4,000万円に対し6,680万円集まる) |
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昭和42年4月10日 |
〜8月5日、(第1回)原爆ドーム保存工事
工事費:5,150万円(全額募金にて)
工事内容:合成樹脂注入で躯体の亀裂部接着、一部レンガ壁建て起し、内部を鉄骨補強等 |
| 1987 |
昭和62年7月 |
再度原爆ドーム現状調査、各種試験を行う
結果:各構成部材の内、劣化著しい箇所を長期保存の為補修工事を行うと決定 |
| 1989 |
平成元年 |
再び募金運動 |
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平成元年10月31日 |
〜平成2年3月31日、第2回保存工事
工事費:2億378万円(うち募金1億円を使う)
工事内容:壁体・窓部亀裂箇所等へ合成樹脂注入、壁上部・窓台上部へ防水モルタル被覆等 |
| 1995 |
平成7年6月 |
原爆ドーム(国の)史跡に指定 |
| 1996 |
平成8年12月 |
(ユネスコの)世界遺産一覧表に登録される |
| 2000 |
平成12年12月13日 |
〜平成13年3月26日原爆ドームの保存に関する調査 |
| 2002 |
平成14年10月8日 |
〜平成15年3月10日、第3回保存工事
工事費:7,237万円(うち広島市原爆ドーム保存事業基金から3,625万円を使う)
工事内容:壁上部及窓台上部の防水モルタルを保護する為金属板での被覆等 |
| 2005 |
平成17年11月28日 |
〜平成18年3月31日原爆ドーム健全度調査 |
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| 一、元安橋の欄干南北に開いた灯籠 |
| 二、護国神社鳥居上の額 |
| 三、山陽記念館屋根瓦 |
| 四、国泰寺の煉瓦をはさんだ墓石 |
| 五、市役所三階の布片 |
| 六、市役所煙突の亀裂 |
| 七、瓦斯会社ガスタンクの陰影 |
| 八、御幸橋の倒れた欄干 |
| 九、三篠の竹藪 |
| 十、住吉神社の欄干 |
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07.08.24追記 |
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せんそう
戦争 |
武力を用いて争うこと。たたかい、いくさ。合戦。
1)二国または2グループに分かれた国々が武力を用いてたがいに敵対行為をとる状態。
国家国際法上、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される。
2)国内の武装勢力どうしが敵対行為をとる状態。 |
えき
役 |
(人民を徴発するからいう)戦争。たたかい。
「西南の役」「後三年の役」
役と言う文字は遠征・長征をさす言葉であり、軍事行動に対する中立的な言葉。 |
ちょうはつ
徴発 |
(1)強制的に物を取り立てること。特に、軍需物資を民間から集めること。
(2)強制的に人を呼び集めること。 |
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関連頁:廣島護國神社 仏国寺 |
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へいわ
平和とは? |
この広島ぶらり散歩を開設して色々な言葉の意味を語ることができずによく辞書を引いていたのでした。
『平和』とは
(1)やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりのないこと。
(2)戦争がなくて世が安穏であること。・・・・・広辞苑による。
平和に相当する英語peaceは、ラテン語paxを語源とし、協定の締結による戦争の不在を意味する。
ここから外交的には戦争状態の終結を国家間の協定締結によって実現した状態を指すようになった。しかし、平和とは本来もっと豊かな意味内容をもち、文化や時代で違い同じ文化空間でもエリートといわれる人と民衆の間での違いも有る事に注意が要る。 日本人は中世以来法華経にある「現世安穏、後生善処」※が根底に流れているそうです。
平和学によると国際的・国内的な「構造的暴力」のない状態として広く捉えられているとのこと。
(構造的暴力=1969年ノルウェー平和研究者J.ガルトングにより体系化された暴力概念)
暴力の行為主体が存在しない状態(消極的平和)であるだけでは「平和」の要件として不充分だと言う事であり表面上「平和」であるように見えても社会的な差別や不正義が存在する以上は「真の平和」(積極的平和)であるとは言えない。
さらにガルトングはこのように直接的・構造的暴力を文化的に正当化する働きを文化的暴力として位置付けた。つまり実際に行われる暴力行為や搾取を神や歴史の名において正しいと認めたり支持したりする事も広い意味で「暴力」と考える学問である。
平和は学問かなとも思いますが、自分自身で平和を考えるヒントにはなると思って掲載しました・・・ |
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2000.04.23裕編集 |
げんせあんのん
ごしょうぜんしょ
現世安穏後生善処 |
〔仏〕「法華経(ほけきょう)二十八品(にじゅうはっぽん)の第五章薬草喩品(やくそうゆほん)」の語。
仏の教えによって、この世では安穏に生きることができ、死後も善い世界に生まれることができるということ。 |
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NPT
核兵器不拡散条約 |
Treaty on the Non-proliferation of Nuclear Weapons
米露中英仏の5ヵ国を「核兵器国」と定め、それ以外の非核兵器国による核兵器取得等の禁止と保障措置の受け入れ、核兵器国による核軍縮のための誠実な交渉義務等を定めている国際条約。
1968(昭和43)年に成立し、1970(昭和45)年発効。日本は1976(昭和51)年批准。
[ 2005(平成17)年8月 ]
現在の締約国は189ヵ国
国連加盟国の中で非締約国は、印度、パキスタン、イスラエル。(北朝鮮は2003年1月に脱退を表明)
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| 関連頁: |
2005年NPT再検討会議について 核開発関連略年表 |
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CTBT
包括的核実験禁止条約 |
Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty
地下核実験を含むあらゆる「核兵器の実験的爆発及び他の核爆発」を禁止する条約。
1996(平成8)年9月に国連総会にて採択。未発効。
[ 2006年8月8日現在 ]
署名国176ヵ国、批准135ヵ国
発効要件国44ヵ国のうち、署名国41ヵ国、批准国34ヵ国
発効要件国のうち署名済・未批准国(7ヵ国) : 米国、中国、インドネシア、コロンビア、エジプト、イラン、イスラエル
未署名・未批准国(3ヵ国) : 北朝鮮、印度、パキスタン ※米国は、1999(平成11)年10月上院でCTBT批准を否決しています。
※核保有国は、当条約採択後も(実際の核爆発を伴っていないからという屁理屈で)条約に違反していないとして、臨界前核実験を繰り返し、核実験そのものの停止は未だ行われてはいません。
また印度、パキスタン、北朝鮮が核実験含みで未署名、未批准国であり、イランの核保有疑惑、イスラエルの核保有が間違いないであろうなど、CTBT自体が有名無実化されているのが現状です。(06.10.17裕記) |
| 関連頁: |
核開発関連略年表 |
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