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鈴木三重吉は、1882(明治15)年に広島市猿楽町83番地の1(現・広島市中区大手町2丁目1の13)に生まれました、
現・東京大学(当時・東京帝國大學)英文科在学中の1905(明治38)年、病気療養のため能美島を訪れ、そこでの体験をもとに短編小説『千鳥』を書き上げ、『千鳥』は夏目漱石(1864-1916)から絶賛されました。以後、山県郡加計町を舞台とした『山彦』などの秀作を発表し、漱石門下生として活躍を続けましたが、1915(大正4)年にいったん筆を折ってしまいます。
小説家としての行き詰まりを自覚した三重吉は、児童文学に自らの進むべき道を見いだし、1918(大正7)年には森鴎外(1862-1922)らの賛同を得て、児童雑誌『赤い鳥』を創刊。芸術的に価値のある童謡・童話を子どもたちに提供しようという画期的な運動をスタートさせました。三重吉はもちろん、芥川龍之介(1892-1927)や有島武郎(1878-1923)、北原白秋(1885-1942)らが傑作を次々と発表。わが国の児童文学は新しい時代を迎えることになりました。『赤い鳥』には児童の投稿欄も設けられ、特につづり方、児童詩の教育活動に大きな影響を与えました。
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| まちづくり交流ウォーク(2004年5月)に参加させていただき鈴木三重吉(1882年9月29日-1936年6月27日)の生誕地(現・デオデオ附近で)店舗外壁にレリーフが設置されていることを今回初めて知ったのです、そして原爆ドームの西側(相生橋東詰南)に建立されている文学碑の撮影に行ったのです。 |
| 資料は碑文等を参考にしました |
04.06.10裕・記編集 |
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’04.06.06 撮影 |
| 鈴木三重吉文学碑は原爆ドーム西側元安川をバックに建立されている
(円鍔勝三作) |
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台座には‘赤い鳥’の彫りこみと
乗馬が好きだったということから‘馬の頭部’が浮き彫りにされていますま |
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’04.06.06 撮影 |

’04.06.06 撮影 |
| 三重吉胸像 |
(本の形を抽象化した台座の上に坐る)少年と少女の像 |
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| 昭和39(1964)年(鈴木三重吉の命日に当たる6月27日)建立 |
1964 圓(円)鍔勝三作 |
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