|
ノーベル物理学賞受賞の湯川博士は1954(昭和29)年米国の水爆実験に衝撃を受けられ、以後世界科学者会議などを通して核兵器と戦争の廃絶を訴えられつづけた事は皆が知るところですよね。
世界科学者と手を結びパグウォッシュ会議を開催するなどの活動をされていました。 |
少女が小鹿のバンビとともに野原をかけまわる平和な情景があらわされています。二度と戦争の惨禍をくりかえさないように、平和への決意が込められた圓鍔作の像です。
像を3mほど移動し床に御影石を敷くなど周辺整備工事が今(2006)年4月7日に完成したそうです。
|
パグウォッシュ会議
(Pugwash) |
〔正式名称は、科学と国際問題に関する会議。パグウォッシュは第一回開催地のカナダの村の名〕1955(昭和30)年のラッセル・アインシュタインの平和宣言☆を受けて、核軍縮問題など戦争と平和の問題を科学者の立場から討議するために創設された会議。
1957(昭和32)年以来世界各地で開催。 |
| ☆英・数学者哲学者バートランド・ラッセル卿(1872-1970)と、米(独生まれ)・物理学者アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)とが中心となって核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文、湯川博士も署名されています。 |
|
| 06.07.26画像追加 02.12.30裕編集 |
|
| 関連頁:若葉の像周辺整備後 (圓鍔記念公園の)同作品「若葉」 |
|

’06.04.15.撮影 |
| 以前に撮影した画像と比べればお分かりになると思いますがこの像の周りの植込みが撤去され石貼りの床になりました。 |
|

’03.01.06. 撮影 |
湯
川
秀
樹
|
|
人
の
み
ぞ
こ
こ
は
|
平
和
を
い
の
る
|
く
る
な
か
れ
|
ふ
た
た
び
こ
こ
に |
ま
が
つ
び
よ |
|
碑
文 |
|
|
|
|
禍津日神 (まがつひのかみ)
|
記紀神話の男神。災いを司る(災害・凶事などを引き起こす)神。
黄泉(よみ)の国(死の国)から現世へ戻った伊邪那岐神は、死の穢(けがれ)を祓うために橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはぎ)原で禊をしたおり、中瀬(ながつせ)に降りて流れに潜って漱がれた。その時生まれた神が、八十(やそ)禍津日神と大禍津日神。 |
|
|
 |

’04.07.04. 撮影 |
|
| 湯川 秀樹 (1907〜1981) |
理論物理学者。地質学者小川琢治の三男として東京に生まれる。1929(昭和4)年京都帝国大学卒業、1933(昭和8)年大阪帝国大学助教授、1940(昭和15)年京都帝国大学教授、1953(昭和28)年京都大学基礎物理学研究所所長。
1932(昭和7)年中性子が発見され、原子核が陽子と中性子からなることが明らかになったが、陽子・中性子を結び付ける力が何かが問題になった。一方、原子核の?崩壊の研究からニュートリノの存在を仮定することが必要になってきた。荷電粒子間に働く力を電磁場が媒介するとの類推から、陽子・中性子を結び付ける未知の力の場があるとした。これに場の量子論を適用すると、場に伴うある種の粒子があることになり、その質量は陽子と電子の質量の中間と推定された。この粒子を中間子、その場を中間子場とよび、またこの中間子が電子とニュートリノに崩壊するとして、原子核の?崩壊をも統一的に説明する可能性を与えた。1949(昭和24)年ノーベル物理学賞受賞。 |
|
| 円鍔 勝三(エンツバ カツゾウ) (1905〜2003) |
| 彫刻家。本名勝二。広島県御調町に生まれる。日本美術学校彫刻科在学中の1930(昭和5)年第11回帝展に『星陽』が初入選1932年日本美術学校卒業、沢田政広に師事した。1939(昭和14)年第3回文展で特選受賞、1951(昭和26)年以来日展審査員、1965(昭和40)年の日展で文部大臣賞、1966(昭和41)年日本芸術院賞を受賞、1970年日本芸術院会員となった。木彫に明るい叙情性を盛り込み、1982(昭和57)年には文化功労者に選ばれ、1988(昭和63)年文化勲章を受章した。1993(平成5)御調町に円鍔記念館・開館。多摩美術大学名誉教授。長く多摩美術大学で後進を指導し、名誉教授。2003(平成15)年10月31日死去。 |
|

02.12.24撮影 |