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(設置説明板文) この遺跡は、慈仙寺内にあった広島藩浅野家の御年寄岡本宮内(おかもとくない)の墓であり、原爆により、墓の笠に当たる相輪が飛び崩れたものである。
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慈仙寺は、浄土宗西山派のお寺です。お寺の全ての建物は壊滅し、御住職ほか2名は即死、奥様は浴室で洗濯中で重傷をおわれ翌(8月7日)日死亡、結局全員死亡されたそうです。
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| 爆心地より≒270m 旧町名:中島本町 |
| (現在:お寺は広島市中区江波二本松1‐4 に移転再建されています。) |
現在は(画像からもお分りになるかもしれませんが)、この「被爆した墓石」は窪地に建立されたようにみえますが、被爆前のここ中島地区の地面の高さだったそうです。(現在のここ平和記念公園は、盛土で造成された事からそうみえるのです)
戦後、外地からの帰還や徴用や動員で他の地域に行っていた人々が帰郷し、ここにはたくさんのバラックが建てられ、それが平和記念公園建設の為に強制的に立ち退きさせられることになったそうです。 |
| この地区は、爆心地からも近く、多くの遺骨が残っているにもかかわらず盛土の整地作業をさせられた人たちの中から、原爆の爆風の威力が解かるこの墓石を残しておくべきではないかという話が広がり、広島市にその要望を伝えることで、いまの被爆した墓地が、平和記念公園内に残されることになったそうです。 |
| 資料は説明板を参考にしました |
03.08.15更新 02.03.20裕・編集 |
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