はら たみき しひ
原民喜詩碑

  原民喜詩碑は、1951(昭和26)年3月13日東京・西荻窪で鉄道自殺(朝鮮戦争中でトルーマン大統領(1884-1972)の原爆の使用もありうるという声明に失望してといわれている)したその(1951)年11月に広島城跡の石垣を背にして建立されましたが、心ない人々の石投げの的にされ傷だらけになり、裏面の銅板も盗まれたりしたそうで、1967(昭和42)年7月29日に修復して平和記念公園内に移築されました。
  今(2005)年5月19日から平和記念公園東側の歩道整備工事に伴い、約4m南に動かす工事を始めたそうです、7月28日訪ねた時はほぼ工事は完成していました。
05.08.14追記   02.02.20裕・記編集
   関連頁:(円光寺の)原民喜のお墓

’02.02.16. 撮影
広島市中区大手町1-10 (平和記念公園・原爆ドーム東側広場)

’05.07.10. 撮影

’05.07.28. 撮影
碑移設工事中 新しくなった歩道と≒4m南に移築された原民喜詩碑

’02.02.16. 撮影
  昭和42(1967)年7月29日に、修復して平和記念公園内に移築されました。
H=93cm L=61.5cm W=27.5cm 御影石

’02.02.16. 撮影









  

















































































































































































































































































































































西





































’02.02.16. 撮影
佐藤春夫(1960年文化勲章受章者)直筆     碑の設計:谷口 吉郎(東工大教授)
原民喜 (1905〜1951) はらたみき
  詩人、小説家。広島市に生まれる。慶応義塾大学英文科卒業。1936(昭和11)年ころより『三田文学』に散文詩風な短編を発表する。1945(昭和20)年、広島市の兄のもとに疎開。8月6日原爆投下時に幟町の生家で被災。この体験は『夏の花』『鎮魂歌』などの作品となる。1946年上京、『三田文学』の編集に携わる。1947年『夏の花』を同誌に発表、世評高く、これにより第1回水上滝太郎賞を受賞。作品にはほかに『廃墟から』(1947年)、『壊滅の序曲』(1949年)、『心願の国』(1951年)、『原民喜詩集』(1951年細川書店)などがある。1951(昭和26)年3月13日西荻窪で鉄道自殺(朝鮮戦争中でトルーマン大統領の原爆の使用もありうるという声明に失望してと言われている)。『夏の花』以下一連の原爆小説は、凄惨な内容ですが抑制された文体で描いていて、感銘もいっそう深い作品と言われています。
夏の花  (黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び花、何といふ名称なのか知らないと著者は書いていますが・・・)
1945(昭和20)年8月6日8:15原爆投下時に幟町の生家で被爆、自らの被爆体験を記録的に短編小説にした作品です。

 『夏の花』を読むと泉邸、饒津公園、東照宮、常盤橋で転覆していた貨物列車などなど・・・
わたしのおじさんが書残した『原爆記』と重ねてその悲惨さが(戦後生まれのわたしでありますので)万分の一ではあるでしょうがわかってくるようです・・・・



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