(旧天神町)天満神社

  この天満神社は、毛利輝元の広島築城のおり、吉田の天神山からこの地に移したのがはじまりです。
明暦年間(1655−1658)は 鶴翁山吉祥寺と称していました。其の後天和(1681−1684)貞享(1684−1688)年間のころより 満松院と改められました。1869(明治2)年8月神仏混淆を禁ぜられるに当たり寺院を分離し、1872(明治5)年11月空鞘神社摂社と定められました。
設置の説明版によると、1945(昭和20)年8月6日被爆、標柱、狛犬などの石像物以外は灰燼に帰しました。
(御神体は疎開していて無事でした)。

爆心地より≒300m
平和記念公園の材木町跡碑を撮影していた時、子どもの頃この辺りで育ったのですよ、天神町の天神さんをご存知かなと見知らぬ老人に声をかけられたのです。わたしは知りませんでしたのでお話を伺い現在は土谷病院の裏に小さな祠でその名残を知ることができるのですよと教えていただき、撮影に行きました。
08.03.19更新    02.02.10 裕・記編集
   関連頁:旧天神町北組慰霊碑   旧天神町南組慰霊碑 

’02.02.03. 撮影
広島市中区中島町6−1

’02.02.03. 撮影

(編集中)



















































寿












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寿

































































































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殿


























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(旧天神町)天満神社
(境内の)坂本文子記念碑
(境内の)菅公一千年祭紀念碑


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