燃料会館・原爆被災説明板

  1944(昭和19)年6月、県燃料配給統制組合に買収されました。 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上し、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。
戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献し、1982(昭和57)年からは無料休憩所と観光案内所として利用されています。
   06.06.03追加編集   04.05.25裕・編集

03.01.06撮影
広島市中区中島町1  元安橋・東側からレストハウスをみる

’04.05.12.撮影
広島市中区中島町1 (現:レストハウス東側)

’01.11.21. 撮影

現:レストハウスの説明板
(旧:燃料会館原爆被災説明板)
被爆直後の燃料会館
燃料会館・原爆被災説明板
爆心地から約170m
  この建物は、1929(昭和4)年、大正屋呉服店として完成しました。戦争が激しくなり、経済統制も進められ、1944(昭和19)年6月、県燃料配給統制組合に買収されました。 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、すぐ近くの爆心地約580m上空でさく裂した原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上し、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。
戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献しました。
被爆直後の燃料会館(松本栄一氏撮影)
開店当時の大正屋呉服店(清水建設提供)
開店当時の大正屋呉服店

’04.06.06. 撮影

’04.06.06. 撮影

’04.06.06. 撮影
西面(原爆炸裂が≒170mと至近距離でしたが西面の被害は東面に比べ少なかったと思われますので撮影しました)上記開店当時の写真の右側の今日です。



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