材木町跡碑

  爆心地から≒500mしかなかった事から一瞬にして町は壊滅したと聞きます。
碑がポツンと1つ囲いもなく建立されている事がより悲しさを誘い、いつも垂れた頭で目頭が熱くなるのです、わたしは。
広島原爆戦災誌によると
  『中島本町1330戸4370人(数字的には材木町もこの中に含まれる)、材木町は建物疎開がなかった。家屋被害全壊約100%、人的被害約100%と記述があり、また浄円寺境内跡に町内に散乱していた人骨を集め防火用貯水槽を埋め、その上に誓願寺の池の玉垣を積み重ね墓標を建てたそうで、後年平和記念公園の供養塔に納骨した』との記述もあります。
05.04.23追記     01.10.25裕・編集

’01.10.25. 撮影

’05.02.17. 撮影
建立年月日:昭和三十二(1957)年八月六日      建立者:旧材木町生存者有志

03.01.05撮影
碑を後から撮影しました。原爆死没者慰霊碑を観ているような(自然石の)碑の傾きは何を意味しているのでしょうかネ・・・・

’02.08.28. 撮影



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