旧天神町北組慰霊碑

  天神町は南北に細長い町で、北組・南組に分かれていたそうです。
旧天神町北組は医者・旅館、縫針工場、各倉庫、酒・醤油、公設市場、衣料品等の店が並び日常品はなんでも揃うといわれた町だったそうです(北組説明碑より)
  旧天神町北組慰霊碑は花崗岩で出来ており原爆の犠牲になった方々の名前が刻まれています。梅の木:1970(昭和45)年NHKによる爆心地復元作業をきっかけに梅の木が植えられたそうです。(天神町にあった満松院菅神社ゆかりの樹だったからだそうです)
05.09.08碑文追記編集   01.10.30裕・編集
   関連頁:旧天神町南組慰霊碑   旧天神町・天満神社 

’03.08.12.撮影
建立:昭和48(1973)年2月   建立者:旧天神町北組町民

’01.10.25. 撮影
天神町北組の跡
  昭和20年8月6日(月)午前8時15分、旧天神北組は爆心地に極めて近かった為、一瞬のうちに全滅してしまいました。当時この町には美しい元安川に沿って132世帯約380名の人がすんでいました。
そしてあの閃光、轟音と共にその時家に居た人は1人として生き延びた者は無く原爆の犠牲になりました。
こゝにある銅板にはこの場所で亡くなられた方々のお名前が刻んでありますが、この他にも一家全滅や旅館に宿泊されていた人達は確認の手がかりも無く、未だに亡くなられた方でお名前がわからない人が沢山あります。

被爆前の旧天神北組は、お医者や旅館、縫針工場や各倉庫そして酒・醤油、公設市場や衣料品等のお店がすらりと並び日常品はなんでも直ぐに揃うようなとても住みよい町でもありました。
少し南の方には天神様がおまつりしてあり毎年夏の縁日には夏の風物詩である夜店が並び老若男女で賑わいました。
また、前を流れる元安川では、潮が満ちればハゼやフナを釣り、ボートを漕ぐエイトの勇ましい声が響きカッパ連中の格好の水泳場になりました。引き潮になれば上流から長い筏が流れ、大きな干潟が現れてエビをすくい、貝を掘る等そこら一帯は子供達のよき遊び場になりました。

この思い出深い故郷を一瞬のうちに失った遺族達はこのゆかりの地を心の故郷として、親子兄弟、身内の者の名をとどめ、亡くなった方々のご冥福を永くお祈りしています。
        元天神町北町住人 山崎寛治

’03.08.12.撮影

’03.08.12.撮影

’01.10.25.撮影
碑の後ろの仮囲いは国立広島原爆死没者追悼平和祈念館工事用のものです
工事のため1999(平成11)年当初の建立位置よりやや南のこの地に移設されています。



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