げんばくのこのぞう
原爆の子の像
  2歳の時被爆して、10年後(小学6年生の時)に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ、全国3,100校余りの生徒と、英国をはじめ世界9か国からの支援により、完成しました。
建  立 1958(昭和33)年5月5日(=こどもの日)
建立者 広島平和をきずく児童・生徒の会
像の制作 菊地一雄(当時・東京芸術大学教授)
形  状 三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右には明るい未来と希望を象徴する少年少女の像があります。高さ9m。
06.05.11追記    01.09.08裕・編集

’01.10.05. 撮影





































正面の碑文
裏面の碑文
(折鶴用雨よけがなかった頃)⇒

’01.09.01. 撮影

03.10.09撮影
全員脱帽をして・・・・・

04.12.03撮影



04.12.03撮影

03.07.28撮影

03.07.28撮影
2003(平成15)年7月27日建立当時の姿に戻そうと(市が複製を制作)鐘と折り鶴が取付けられ除幕式があったそうです。
鐘は青銅製で、高さ56cmの銅鐸型。湯川秀樹博士の「千羽鶴」「地に空に平和」の文字が刻まれています。
折り鶴は高さ35cm、幅65cm、重さ5kgの真鍮製。

04.02.22撮影
建立当時のものは何処にあるかと思っていましたが、何回も訪れている資料館(東館)1階ロビーのケースの中に・・・

03.07.28撮影
鐘と折り鶴が取り付けられた原爆の子の像前で説明を聞く観光客

’03.01.05. 撮影
行った時は既に広場は除雪されていました

’02.06.26. 撮影
全国からの折り鶴が雨に当らないようにと雨よけ屋根の工事が竣工しました(2002年4月)

’01.09.01. 撮影

’01.10.05. 撮影
(折鶴雨よけがなかったころ) 向う側:現在レストハウス(被爆時は廣島縣燃料配給統制組合)



「平和記念公園」編



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