広島平和記念資料館・東館

  丹下グループのコンペ入選案では、平和記念館(本館)+原子爆弾災害資料陳列館+集会所 でした。
                                   (+部分は空中歩廊で繋ぐ)
入選案の平和記念館・本館に当たる建物として1955(昭和30)年5月に竣工しました。
1994(平成6)年6月改築が施され広島平和記念資料館東館として開館し、同時に空中廊下が取り付けられ、当初の丹下グループ案は変更を重ねながらではあったがここに達成されました。
05.09.07追記    02.12.30裕編集
関連頁 平和記念館(平和記念資料館東館+原爆災害資料陳列館(通称・原爆資料館)+集会所(国際会議場

04.07.04撮影
広島平和記念資料館・東館 正面入口をみる
 平和記念館開館
1955(昭和30)年8月24日
 平和記念館と平和記念資料館(現・本館)の改築
1991(平成3)年8月(本館又は西館) 地上2F一部中3F、延床1,615u
1994(平成6)年6月(東館) 地上3F地下1F、 延床10,098u
 平和記念資料館の歩み
1949(昭和24)年9月広島中央公民館に「原爆参考資料陳列室」設置
1955(昭和30)年8月平和記念館と平和記念資料館が開館
1994(平成6)年6月平和記念館を改築し一体化し東館・西館として開館

(東館の館名)

04.07.04撮影
右手(東側)東館 と (左側・奥)広島平和記念資料館・本館(西館) と (左・手前)嵐の中の母子像

04.07.04撮影

02.12.24撮影
元安川対岸より東館を見る

04.04.22撮影
裏庭にあたる処(北側ドライエリア周り)はツツジの名所?とわたしは思っているのですが・・・・
競技設計
(コンペ)
広島市復興局により実施。 1949(昭和24)年7月20日締切り時、145点の応募があったそうです。
当時東大助教授・丹下グループ案が1等になる。
募集要綱には
旧産業会館を含む中島地区一帯を対象として、平和記念館、原子爆弾災害資料の陳列館、集会場、平和の鐘を釣る塔などの配置が求められていたそうです。

平和記念公園は丹下健三(代表)、朝田孝、大谷幸夫、木村徳四郎、四氏の設計です。
コンペ入選の当初案は平和記念館--巨大アーチの慰霊塔--旧産業奨励館(原爆ドーム) を一直線の南北基軸とし、
平和記念館には、(東に)本館+(中央に)陳列館+(西に)集会所 を配置した案でした。

(+部分は空中歩廊で繋ぐ)



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