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平和記念公園は、中島地区(中島町1番)を恒久平和の象徴の地とするとともに、市民の憩いの場所とする計画のもと、1954(昭和29)年4月1日完成しました。
設計は(設計コンペ応募145点からの入選作)丹下健三(代表)、浅田孝、大谷幸夫、木村徳国、4人共同作品です。
公園面積は原爆ドームの所在する地域(大手町1丁目10番)を含め≒122,100u(≒37,000坪)だそうです。 |
| 平和記念公園内には、原爆被災資料展示や平和学習の場としての広島平和記念資料館、原爆死没者を追悼し被爆体験を継承する目的の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、国際交流の拠点となる広島国際会議場、広島市平和記念公園レストハウス、原爆ドーム、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)などなど多くの慰霊碑、記念碑があります。 |
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1996(平成8)年12月7日、原爆ドームが「世界遺産条約」に基づきユネスコの世界遺産一覧表に記載されました。 |
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2006(平成18)年7月5日、(通称)原爆資料館が(戦後の建物としてはじめて)国の重要文化財に指定されました。 |
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2007(平成19)年2月6日、平和記念公園が(戦後整備された公園としてはじめて)国の名勝に指定されました☆。
2008(平成20)年3月28日平和記念公園のほぼ全域が国の名勝に追加指定することが官報で(正式に)告示されました。 |
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| 『裕の広島ぶらり散歩』は、(通称)平和公園からはじめようと・・・ |
| 『1945( 昭和20)年8月6日(月)8時15分お袋が米軍投下の原子爆弾で死んでいたら、わたしはこの世に生を受けていなかったからです』その時お袋は、爆心地から約1800mの(廣島驛裏に位置していた軍施設)第二總軍司令部で働いていたとの事です。
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| 関連頁:(裕編集の長崎)平和公園 |
08.09.23更新 00.01.24裕・記編集 |
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03.08.06撮影 |

00.08.05撮影 |

00.01.10撮影 |

02.04.19撮影 |

01.09.01撮影 |
| 平和記念公園(広場) |
広島平和記念資料館・本館
(通称:原爆資料館) |
原爆死没者慰霊碑
(正式名称:広島平和都市記念碑) |
国立広島原爆死没者追悼
平和祈念館 |
爆心地・原爆被災説明板
(公園外・島外科西側) |
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| ピロティー空間を‘人々の平和へのエネルギーで満す’という事だそうです、直下型地震に弱いこの形状、広島にも活断層が・・裕記 |
| 広島平和記念資料館・東館 |
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安らかに眠って下さい
過ちは
繰返しませぬから |
Let all the souls here in peace;
For we shall not repeat the evil. |
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| 個人的には平和記念公園内に建築物はもう要らないと思うのです。47億円もかけた建物が平和を語り継ぐのではなく個人個人が平和の心を築くことこそが必要なのではと思うのです・・裕記 |
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この碑以外何もないのが反って寂しさを呼ぶように思います。
生活に追われ通り過ぎていく日々が平和の中にあるからなにも感じないのかと・・裕記 |
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| 08.08.06更新 |
06.08.01更新 |
08.09.05更新 |
05.04.26更新 |
07.12.01更新 |
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00.01.10撮影 |

00.02.12撮影 |

01.11.09撮影 |

02.01.03撮影 |

04.04.22撮影 |
| 原爆ドーム |
廣島縣産業奨励館・写真 |
原爆供養塔 |
平和の灯 平和の池 |
本川小学校平和資料館
(公園外・爆心地から≒410m) |
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原爆ドームの在りし日の建物姿
(説明碑を撮影したものです) |
| チェコ出身の設計監督ヤン・レツルが竣工≒30年後、被爆の惨禍を経て世界遺産に登録される事など想像だにしなかったでしょうね |
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| 原爆によって犠牲になった方々、数万柱の遺骨が納められています。各所に散在していた遺骨です。毎年8月6日を中心に広島戦災供養会、広島県宗教連盟、各宗派の慰霊行事が行われています。 |
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| 当初の計画になかった構築物 |
| 米( +英 )・露臨界前核実験、仏・中地下核実験、印・パ地下核実験、北朝鮮地下核実験どの国のエゴも許す事はできないと私は思っています・・裕記 |
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| 被爆当時の校舎は戦後使用されたが1987(昭和62)年解体されましたが、その際一部が保存され1988年4月平和資料館として開館しました。 |
| 袋町小学校平和資料館 |
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| 07.11.24更新 |
04.04.03更新 |
07.02.21更新 |
06.01.12更新 |
07.04.03更新 |
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03.01.05撮影 |

02.12.24撮影 |

03.01.05撮影 |

01.09.27撮影 |

02.10.09撮影 |
| 原爆の子の像 |
平和の像「若葉」 |
平和の鐘 |
マルセル・ジュノー博士記念碑 |
核兵器廃絶に関する広島県宣言碑
(公園外・県庁議事堂横) |
| “原爆の子の像”は『千羽鶴の塔』とも呼ばれています。 |
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『湯川秀樹歌碑』ともいわれています。
1949(昭和24)年ノーベル物理学賞を受賞された湯川博士の歌が刻まれています。 |
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| 環境庁「残したい日本の音百選」に平成8(1996)年に選定されています。 |
人間国宝故香取正彦作
径≒1m、H=1.7m、重さ≒1.2t、1964(昭和39)年9月20日建立。
原爆被災者広島悲願結晶の会 |
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| 1904-1961 スイスの医学者 |
| 被爆の惨状を知った博士は赤十字がもつヒューマニズムの精神で被爆者医療に自らも携わり、多くの市民が救われたそうです。 |
| マンハッタン計画・副責任者ファーレル准将による救援活動への妨害もあったとの事です。 |
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| 『・・・生命の尊厳を改めて確認し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に努力することは現在に生きる私たちの責務である。・・・』と宣言文の中で述べています。 |
| 非核三原則とは |
| 『核をつくらず、持たず、持ち込ませず』です。 |
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| 06.05.11更新 |
07.07.26更新 |
06.01.08更新 |
03.10.16更新 |
04.10.29更新 |
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02.08.06撮影 |

01.11.21撮影 |

02.12.24撮影 |

01.10.25撮影 |

01.10.25撮影 |
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広島国際会議場
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| 世界平和に貢献するシンボル的機能と国際交流機能をもつ施設として公会堂を解体して建設されました。 |
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広島市平和記念公園レストハウス
(旧燃料会館)
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地球平和監視時計
(資料館東館1階ロビーに設置)
| 最後の核実験からの経過日数などを示す「地球平和監視時計」の除幕式は2001年8月6日でした。 |
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中国四国土木出張所職員殉職碑
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| 1944年3月産業奨励館としての業務が停止され、被爆当時各統制会社や中四国土木出張所などになっていたそうです。 |
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広島県地方木材統制活ヤ霊碑
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| 被爆当時広島県地方木材・日本木材広島支社・広島船舶木材などの統制会社の事務所になっていたそうです。 |
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| 05.09.07更新 |
06.06.03更新 |
07.03.25更新 |
06.12.07更新 |
06.06.03更新 |
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06.12.11.撮影 |

04.05.27撮影 |

02.11.15.撮影 |

04.10.03撮影 |

04.06.06撮影 |
希望:像
(資料館東館1階ロビーに展示) |
長崎の鐘(模型)
(資料館東館1階ロビーに展示) |
平和の鐘
(資料館東館1階ロビーに展示) |
親水護岸
(親水護岸での)水辺のコンサート |
相生橋趾碑 |
| 07.02.19更新 |
05.10.30掲載 |
03.08.06掲載 |
08.08.01更新 |
06.05.10掲載 |
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03.11.22撮影 |

’06.04.15.撮影 |

06.06.17撮影 |

05.08.12撮影 |

’08.01.25.撮影 |
| (平和記念公園の)花時計 |
日時計 |
被爆者の森
(公園外・平和大通り鶴見町附近) |
平和の門
(公園外・平和記念資料館向南側) |
第1回平和祭記念樹
クスノキ |
| 07.07.25更新 |
08.06.07更新 |
06.09.06掲載 |
07.02.20 掲載 |
08.04.15編集 |
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00.12.29撮影 |

01.10.04撮影 |

01.10.15撮影 |

00.01.10撮影 |

02.02.03撮影 |
広島東洋カープ優勝記念碑
(公園外・市民球場前) |
世界の子どもの平和像
(公園外・市民球場前) |
聖観世音菩薩像
(公園外・映像ライブラリー前) |
旧日本銀行廣島支店
(公園外・袋町電停前) |
旧天神町・天満神社
(公園外・土谷病院裏) |
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| 長崎平和公園の平和祈念像で有名な故北村西望作です。 |
| 台座の石貼りに白華現象も見られそろそろ補修が必要と思われるのですが・・・01.10.20裕感想 |
| 2005年12月清掃されました |
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| 爆心から≒380mの被爆建物であるこの建物も解体されるようです広島市民の平和への気持ちも時代と共に風化して行く?・・裕記 |
| 被爆建物として残されるようになりました。 |
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| もともとは旧天神町に鎮座し‘天神町の天神さん’として親しまれていたそうですが、爆心地から約300mという至近距離での被爆で壊滅しました。 |
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| 07.11.06更新 |
04.07.10更新 |
06.04.30更新 |
07.06.06更新 |
02.02.10更新 |
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