中野村「忠勇義烈」碑

忠勇義烈
[是韋]哉明治三十七・八(1904・1905)年戰役也功烈之崇絶蹟於内外史乘矣爰本村從軍士實九十三人而其八人嚢屍于馬革或殪于傷痍或歿于疾病為護國神者其八十五名櫛風沐雨加剛建凱旋者命運雖各殊其功績則一也而固是■村之所與分而為榮譽者安得不垂之於不朽且為以後鑑乎是建碑請篆額第五師團長陸軍中将木越安網閣下而刻諸士姓名於其下如此
中野村軍人待遇會長 小原伊兵衛謹撰 理事 井原壽登  明治39(1906)年12月建之
この石碑は、1904〜1905(明治37〜38)年の日露戦争に中野村から参加した人々のことを記録に残すために、1906(明治39)年12月に中野村の人々によって建てられたものです。この石碑は、日本が歩んだこれまでの歴史における一つの事実を物語っています。この事実をもとに他の国と戦争をしていたころの社会の様子や歴史などを学習し、二度と戦争が起こることがないよう、平和の大切さについて考えましょう。1992(平成4)年6月 広島市教育委員会
中野小学校の根際に碑が建立されていることを何かで聞いていたのです・・・
今(2006年)回交流ウォークの片岡会長、増田先生と訪ねてみたのです。この碑には教育委員会の説明板があり、『・・・平和の大切さを考えましょう』と記述していました。
 07.01.15裕編集
   関連頁:(忠勇義烈・碑の根際の)二宮金次郎像    (矢口神社に建立の)小原伊兵衛紀念碑

06.12.21撮影
広島市安芸区中野4-21-2    (老人集会所)

06.12.21撮影

06.12.21撮影
ちゅうゆう
忠勇
忠義と勇気。また、忠義であって勇気がある・こと(さま)。
用例:「忠勇無比」
ぎれつ
義烈
義を守る心が非常に強いこと。



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