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わたしが子どもの頃は、よく見かけていた井戸水を汲み上げる「手押しポンプ」、上水道が整備された現在ではほとんど姿を消したと思っていたのです、ところがわたしの単なる注意不足・・・広島市内でも手押しポンプが多く残っているようです、水が出る手押しポンプばかりではなく、水が出なくなったり壊れたまま残されたりと・・見かけたときは撮影しているのです。
撮影していると街の風景に溶け込んでいるように思えてくるのです、これからも見た時は撮影紹介していこうと思っています。 |
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| 2006(平成18)年9月、わが安芸区で起きた「送水トンネル崩壊事故」※で呉市、江田島市が断水したことで、江田島市では井戸水が飲料水で利用できるか市が肩代わりで検査するというニュースを聴きましたが、緊急時、災害時に井戸水が有効なものであることを再認識する事故でもありました。 |
| 08.10.06追記 06.10.03裕・記編集 |
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08.06.18撮影 |
店頭飾り
(安芸区中野2丁目) |
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08.07.08撮影 |
万休寺
(東区中山東3丁目) |
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08.09.26撮影 |
浄念寺
(南区松川町1丁目) |
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08.10.04撮影 |
賽神社
(安佐南区長束5丁目) |
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08.01.19撮影 |
カニ公園
(南区西蟹屋4) |
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07.12.10撮影 |
市民農園内
(東区牛田東3) |
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07.10.12撮影 |
真行寺
(中区寺町5) |
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07.09.10撮影 |
進徳寺
(中区千田町2) |
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07.04.12撮影 |
清住寺
(中区本川町2) |
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06.08.06撮影 |
並木通り
(中区三川町) |
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06.06.01撮影 |
広大病院前
(南区出汐一丁目)
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06.11.10撮影 |
畑の灌漑用
(安佐南区川内) |
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07.04.08撮影 |
海宝寺
(中区江波南1) |
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06.04.06撮影 |
碇神社
(中区白島九軒町) |
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06.09.09撮影 |
芸備線横
(東区戸坂山根2) |
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06.09.15撮影 |
光福寺
(中区寺町) |
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(手押しポンプ撤去:08.09.01確認) |
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08.05.03撮影 |
蓮照寺
(東区牛田東3-3) |
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07.10.06撮影 |
任助親王墓
(廿日市市宮島口2) |
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07.10.06撮影 |
延命寺墓所
(廿日市市宮島口1) |
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04.09.08撮影 |

06.01.03撮影 |

06.01.03撮影 |
誓真釣井
(廿日市市宮島町港町) |
誓真釣井
(廿日市市宮島町幸町) |
誓真釣井
(廿日市市宮島町魚之棚町) |
| (手押しポンプ取替え)08.02.19更新 |
(手押しポンプ撤去)08.02.22更新 |
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08.01.02撮影 |
金岡水
(廿日市市宮島町杉之浦) |
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普通の手押しポンプは理論上、地下10m以下の水は汲み上げられないそうです。
手押しポンプが地上1mくらいに設置されていることから考えれば、手押しポンプの井戸の水位は地下4〜7mだろうと推測され、手押しポンプは8mを越えると無理との事のようです。 |
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| 津田式ポンプ製作所のことは知っていましたが詳しいことは調べるまで知らなかったのです、 |
広島の会社で広島市中区広瀬町6(被爆当時町名:錦町)に鉄骨造の工場があったが被爆(爆心地から≒900m)で焼失残骸になったそうです。
1921(大正9)年に津田喜次郎氏(1959年死去)が考案し全国を席捲した手押しポンプの名品で、戦後も製造を継続していたそうです・・・1960(昭和35)年頃から姿を消していったと聞きますがそういわれるとそうかなと思うのですが・・・ |
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商号:株式会社川本製作所、本社:名古屋市中区大須4-11-39
創業:1919( 大正)8年5月17日、設立:1949(昭和24)年12月1日 |
| 1919(大正8)年川本氏が名古屋市中区大池町で「川本製作所」を創業。手動ポンプの製造・販売を開始した。当時は陶製・木製ポンプが主流だったが、これらは量産性もなく、輸送にも難があった。川本はこれを一体鋳造の鋳鉄製に改良。「共柄(ともえ)ポンプ」の名で発売し、数々の特許を取得した。KAWAMOTO・DRAGONは川本製作所の資料をみると、1955(昭和30)年ドラゴンポンプ発売とあるので、戦後駅前に設置されたものなのだな〜と思いました・・・ |
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※相模原市のシップス(株):中山義光氏より
『共柄は、東邦工業株式会社(名古屋市中川区清船町4-1)の考案で川本製作所は真似たそうです。古いことなので、たぶん川本さんは考案したつもりになっているようです』というメールをいただきました。わたしは両会社に確認したわけでもありませんし、手押しポンプの専門家でもありませんので参考資料としてここに掲載しました。 |
| 07.04.28裕追記 |
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| KOYOの手押しポンプ |
よくわからず、高知市にある会社のものかと思っていたのですが、
(2008年1月19日)交流ウォークで訪ねた生活資料館・仁保島村にあった(現役の)KOYOの手押しポンプをみて川崎館長とお話していてわかってきたのです、戦後津田式ポンプの権利を譲り受けKOYO
として津田式ポンプと同じ形式で造っており、それを設置したのですよと、KOYOと津田式は同じ形式だったという事が・・・ |
| ※現在安佐北区にKOYOの工場があるとか・・・ |
08.01.19追記 |
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| (共柄という漢字をはじめてみました、辞書を引いてみたところ、刀からきたものだったのだな〜と・・・包丁で云うと刃と握る処が一体型のものかなと想像したのですわたしは、手押しポンプの柄も同じことかと) |
ともつか
共柄 |
刀の柄を、木などで作ったものを取り付けるのでなく、中子(なかご)自体を柄として使えるようにしたもの。 |
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| ※広島県営水道の送水トンネル崩落事故 |
今2006(平成18)年8月25日、広島市安芸区で広島県営水道のコンクリート製送水トンネルが崩落し、呉市、江田島市で大規模な断水が起きました。断水は両市で約32,000世帯、約72,000人に及ぶ大規模な断水で、広島県の災害派遣要請を受け陸上・海上自衛隊が給水活動に出動、市民も助け合いながら水の確保に奔走したと大きく報道されました。
送水トンネルは、県が瀬戸内海沿岸や島嶼部の水不足を解消するため1965(昭和40)年ごろ整備、太田川の水を送っています。8月25日計器で異常を発見、現地で確認すると山中を貫く長さ約2,900mのトンネルの中、約45mにわたって計≒350tの岩盤が崩落していました。
長年にわたる地下水の浸透や風化などでトンネル周囲の岩盤に空洞ができ、その一部が落下しトンネルをふさいだと考えられています、送水を止めて点検したのは1979(昭和54)年でそれ以来27年間も行われていないという状態でした。チェック体制の見直し、いざというときのバックアップ・ルートの確保などが今後の課題として残っているといわれています、
2006年9月11日、広島県営水道・送水トンネル崩落事故の復旧工事を11日に終え、17日ぶりに呉市、江田島市への送水を再開され、断水が続いていた工業用水を含め、全面的に復旧しました。 |
| 江田島市での(農業用などに使っている)井戸水が飲料にむくかどうかの検査を行ったことなどをニュースで知りましたが、インフラの維持管理の責任は県・市にあるとしても、江田島市のような飲料水検査は日ごろやっていた方がいいのではないかと・・・また、わたしたち市民も非常用飲料水の確保が必要ではないかとの教訓を残した事故でした・・・ |
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